城・城跡
日本の桜の名所100選に選ばれ、白壁や石垣、天守閣と桜が美しい景観を織りなす姫路城は、1333年に、赤松則村がこの場所に 砦を築き、その子貞範が1346年に初めて城を構えたと言われています。
徳川幕府における京都の拠点となった二条城は、徳川家康が慶長8(1603)年に京の宿館として建設した平城。家康と豊臣秀頼との会見場所となったほか、幕末の慶応3(1867)年には15代将軍慶喜がここで大政奉還を行った。
青葉山に位置する事から、青葉城(あおばじょう)という雅称を持ち、一般的に青葉城と呼ばれる事が多い。これは仙台城ができてから生まれた地名で、山と城のどちらが先に「青葉」の名を得たか不明である。
会津若松市のシンボル鶴ヶ城(若松城址)。 数多くの戦国大名が治め、幕末戊辰の戦役でも有名なこの城は現在、本丸を「鶴ヶ城博物館」として貴重な資料を展示公開しております
会津若松市のシンボル鶴ヶ城(若松城址)。 数多くの戦国大名が治め、幕末戊辰の戦役でも有名なこの城は現在、本丸を「鶴ヶ城博物館」として貴重な資料を展示公開しております。
首里城は、琉球王国の幾多の興亡を伝える歴史の証人。琉球の島々を治め、中国、日本、朝鮮、東南アジアの国々と外交、貿易を展開した首里王府の司令塔として王とその家族等が住み、華麗な王朝文化に彩られた空間でたした
慶長16年に築城。天守や櫓など築城時の形態がそのまま残された城址は全国でも珍しく、東北で唯一当時の天守が現存する。春は、桜の名所としても全国的に有名だが雪の積もった2月の弘前公園内は誰もいなかった。
松山城の築城者は、賤ヶ岳(しずがたけ)の合戦で有名な七本槍の一人、加藤嘉明である。嘉明が25年(1602~1627)の歳月をかけて築いた松山城は、勝山山頂に本丸・中腹に二ノ丸・山麓に三ノ丸を整備した広大な規模の城郭であった。
皇居東御苑は、の皇居の東側に付属してある庭園。東御苑はかつての江戸城の本丸・二の丸・三の丸跡に位置し、少し離れた場所の西の丸を含めた、この範囲のことを江戸城といった。
鳳来町にある長篠城址史跡保存館には、長篠の合戦に関係した、数々の資料が展示されています。当時、実際に使われていた鉄砲を始め、合戦の指揮に使ったと伝えられる血染めの太鼓など、興味深い資料を見ることができます。
国宝「犬山城」は、室町時代 の1537年に建てられました。 天守は現存する日本最古の様式です。 木曽川のほとりの小高い山の上に建てられ、 天守閣からの眺めはまさに絶景。 周辺には犬山城下町の古い町並みや,多くの観光施設があります。
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