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宿場町の面影を残す熊川の町並み。 まちを通る若狭鯖街道は、日本海と京都を結んでいた。 この道を、多くの人や物、そして文化が行き交った。 昔の面影を残す趣のある街並みです。
町並みの特徴は、浅黄色と白漆喰で塗りごめられた重厚な外壁があり、棟を街路と平行に通す平入造りで、街路に面した壁面が通っています。隣家との間には、道路や水路空間を残し、この路地空間は、他所では見られない造形美を醸し出しています。
鎌倉を代表する名所の高徳院の本尊である大仏は、北条泰時の時に、淨光という僧が諸国を勧進して浄財を集めて歩き、1238年3月から大仏と大仏殿を造り始めた。そして大仏開眼は5年後の1243年6月11に行われた。
1321年に瑩山禅師が開き、永平寺と並ぶ曹洞宗の修行寺として栄えてきました。その後、明治31年の大火で多くを焼失し本山は神奈川県の鶴見へと移されました。現在では、祖院として大本山のおもかげを偲ばせる幽玄な寺院となっています。
博多櫛田神社では5月の博多どんたく、7月の 博多祇園山笠、10月の博多おくんち 、博多を代表する祭が繰り広げられる。
吉野山が日本一の桜の名所となったのは、奈良時代の昔、役行者が金峯山寺を開くとき、感得した蔵王権限を桜の木に刻んだ故事から、神木として保護されてきたため。以来、寄進も相つぎ、吉野に住む者は桜を慈しんで大切にしてきました。
江戸時代以降外国貿易の地と定められ唐人屋敷があった長崎に、明治26年(1893年)清国政府と在日華人が協力して中国の総本山並に伝統美あふれた孔子廟がつくられた。
通称赤寺と呼ばれ、1620年明の僧真円によって建立され、境内には旧唐人屋敷門や日本三代聖堂 の一つ 長崎聖堂の大成殿文学門 などがある。 ほとんどが中国工匠による純粋の中国建築で、資材も中国より運送したもの
和気清麻呂が宇佐へ配流の際に、道鏡から送り込まれた刺客に襲われたのを、突如現われた300頭の猪によって難事を救われたとの伝説から、明治23年から狛犬の代わりに狛猪が置かれており、いのしし神社といわれる。
太宰府天満宮は、菅原道真(すがわらみちざね)公(菅公)の御墓所の上に社殿を造営して、その神霊を御奉祀する神社で、「学問の神」「至誠の神」として世の崇敬を集めています。
枕草子や蜻蛉日記にも登場する有名な伏見稲荷大社は、稲荷神社の総本宮。 稲荷山の山上から麓まで無数に朱の鳥居が並んでいる。創建は古く、和銅4年(711)で、 渡来人の秦氏が農耕神として祀ったのが最初という。
正しくは高台寿聖禅寺といい、豊臣秀吉没後、その菩提を弔うために秀吉夫人の北政所( ねね、出家して高台院湖月尼と号す)が慶長11年(1606)開創した寺である。
東京都内最古の寺院である。山号は金龍山。本尊は聖観音(しょうかんのん)。もと天台宗に属していたが第二次世界大戦後独立し、聖観音宗の総本山となった。
前身は飛鳥の「厩坂寺」であり、さらにさかのぼると天智朝の山背国山階寺が起源となります。その山階寺は、天智8年に藤原鎌足が重い病気を患った際に、夫人である鏡大王が夫の回復を祈願し釈迦三尊、四天王などの諸仏を安置するために造営したものと伝えられています。
皇大神宮別宮で、三重県志摩郡磯部町上之郷にご鎮座、天照坐皇大御神御魂をおまつりする。「いざわのみや」というのが正しいが、「いぞうのみや」と呼びならわしている。古くから天照大御神の遙宮(とおのみや)といわれ、また礒部の大神宮さんと呼ばれ、深い信仰がある。特に漁師、海女の崇敬があつく伊雑宮で「磯守」を受け、身につけて海に入るのが風習となっている。
瀧原宮、瀧原竝宮は皇大神宮(内宮)の別宮で,昔から「大神の遥宮」と言われています。西国33ヶ所の巡礼を志した人々が、まず伊勢の大神宮にお詣りしてから、熊野の第一番札所を目指して歩みを運んだ熊野街道は現在、国道42号線となり瀧原宮の前を通っています。
ガン封じ寺 金錫山 地蔵寺は、岐阜県の重要文化財に指定された、延命地蔵願王菩薩は胎内に15cmのお地蔵様を秘蔵しており、純金の錫杖を持っている仏像を、御本尊様として安置されています。平安時代この地方では、難病におかされる者が多く、やせて苦しみ、生きながらにして地獄に落ちるといって、恐れられてきました。
こんぴらさん"の呼び名で親しまれている金刀比羅宮は、象頭山(標高521m)の中腹に鎮座し、昔から海の安全、五穀豊穰、大漁祈願、商売繁盛など様々なご利益のある神様として全国津々浦々から、年間300万人もの善男善女が訪れています。。
本宮は高おかみ※神、奥宮は闇おかみ※神(くらおかみのかみ)が祀られているとも伝えられていますが、社記には「呼び名は違っても同じ神なり」と記されています。水を司る神様。降雨、止雨を司り、降った雨を地中に蓄えて適量湧き出させる働きを司る神様。水は万物の命の源であり、水がなければあらゆる生物は命を維持することができません。
貴船川対岸の山が鞍馬山で山頂の鞍馬寺は義経伝説/牛若丸で知られ、ご本尊は全宇宙を治める尊天とされています今から650万年前に金星からこの地に神が降り立ったと言う伝説が伝わる不思議な雰囲気の有る寺です。
細川忠興が慶長6年に建立しました、開基は玉浦宗紹(忠興の叔父)で本堂正面にお祀りしています、書院は利休屋敷から移したもので、茶席「松向軒」は秀吉が北野大茶会を催した時の移築です。細川家歴代の墓が並び細川ガラシャの墓石となっているのは当時天下一と呼ばれた利休愛蔵の灯籠です、高桐院の散り紅葉は緋毛氈をひきつめたようになり素晴らしい。
実光院の見所は素晴らしいお庭です。実光院のお庭は眺める庭だけではなく、歩ける庭で。鑑賞式庭園の契心園は江戸から続く実光院の主庭です、もう一つの回遊式庭園は元々理覚院があった土地に、植木や石の一つ一つに至るまで、現住職が手づくりで造り上げたものだそうです。庭の中央部にある珍しい桜は、紅葉と桜(不断桜)が同時に楽しめる珍しいお庭です。
鑑賞式庭園の契心園は江戸から続く実光院の主庭ですが、もう一つの回遊式庭園は元々理覚院があった土地に、植木や石の一つ一つに至るまで、現住職が手づくりで造り上げたもの。中心をなす 珍しい桜で、紅葉と桜を一度に観賞できる点でも楽しみの深いお庭です。
大崎八幡宮の御社殿は、仙台藩祖・伊達政宗公の命により慶長九年より十二年にかけ、豊臣家召抱えの梅村日向守家次・梅村三十郎頼次・刑部左衛門国次・鍛冶雅楽助吉家といった当世随一の巨匠を招き造営されました。
瑞鳳殿は1636( 寛永13)年、70歳で生涯を閉じた伊達政宗公の遺命により、その翌年ここ経ケ峯に造営された霊屋(おたまや)です。桃山様式の遺風を伝える豪華絢爛な廟建築として1931(昭和6)年、国宝に指定されましたが、1945(昭和20)年の戦災で惜しくも焼失しました。現在の建物は1979(昭和54)年に再建されたものです。
三門は、元和7年(1621)徳川幕府によって建立されました、高さ24m横幅50m屋根瓦7万枚。木造の門としては世界一のスケールです。
泉岳寺の墓は、慶応4年6月供養のために建てられたものだそうです。討ち入りの翌日に当たるせいか境内は大勢の参拝者であふれ義士の墓をお参りしようとする人々が長い行列を作っていました。また、本堂では、津軽三味線の演奏が行われていました。
靖国神社は、明治2年(1869)に明治天皇の思し召しによって、戊辰戦争で斃れた人達を祀るために創建された。初め、東京招魂社と呼ばれたが、明治12年に靖国神社と改称されて今日に至っている。
国宝建造物があり、敷地が史跡に指定されている東大寺・興福寺・春日大社・元興寺・薬師寺・唐招提寺特別史跡・特別天然記念物に指定されている平城宮跡・春日山原始林が、「古都奈良の文化財」という名称で、全体がひとつの文化遺産として登録されています。
加賀百二十万石を譲られた義弟利常は、深くその恩を感じ、時の名工山上善右衛門嘉広をして七堂伽藍を完備し、広山恕陽禅師をもって開山とされた。 造営は正保年間から、利長公の五十回忌の寛文三年(1663)までの約二十年の歳月を要した。
薬師寺は680年に天武天皇が建立されたもので、その後1320年もの年月を経て、そして、戦火、震災、水害などの幾多の災難を乗り越え、そして最近では阪神淡路大震災の衝撃をも耐え今も奈良西ノ京にあります。
静岡県浜松市にある臨済宗方広寺派の大本山・方広寺と奥山半僧坊。奥浜名湖の禅空間は究極の癒し。縁結び・開運の寺としても有名です。本堂には雛祭りが近いため吊るし雛がたくさん飾られていました。また参拝者には何故か若い女性が多かった。
岩松寺の本堂大間の天井に描かれている八方睨み鳳凰図。21畳敷きの天井いっぱいに翼を広げた鳳凰の画で、葛飾北斎が88歳の時に描いたものである。植物油性の岩絵具で中国より長崎商人の手をへて輸入した辰砂、孔雀石、鶏冠石などの鉱石を用い描かれ、その価は150両、そのほかに金箔を4400枚使用している。
紅葉の名所臨済宗大本山「東福寺」の通天橋は少し紅葉が早かったようですがものすごい人で撮影ポイントを確保するのが大変でした。
鳳来寺山は「ブッポウソウ」と鳴くコノハズクがいる山として有名。現在ではあまり鳴き声を聞かなくなったという話を聞くが、環境の変化等により生息数がめっきりと減ってしまったのだろうか。寺の本堂へは、山麓から伸びる石段(1425段)や鳳来寺山パークウェイがある。
青峯山深くに多数の堂宇が点在する真言宗の古刹。海上保安の祈願所として名高い。ご本尊は「鯨に乗った観音様」の伝説に登場する黄金の十一面観音菩薩を祀っている。 旧暦の1月18日には盛大な祭りが行なわれ、海上の安全を祈願する多くの人々で賑わいを見せます。
善光寺本堂は1953年に国宝に指定された。また、山門と経堂は重要文化財です。本堂の床下の真っ暗な通路を通り、本尊の阿弥陀如来が安置されている瑠璃壇という小部屋の真下にあるとされる、極楽浄土への錠前に触れる戒壇巡りが、500円で体験できる。
椿大神社(つばきおおかみやしろ)は、三重県鈴鹿市にある神社。旧社格は県社で、第二次大戦後は別表神社となった。
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