梅原猛は宮城県仙台市で生まれ、知多半島の内海で育つ。乳児期に実母石川千代を亡くし、生後一年九ヶ月で伯父夫婦梅原半兵衛(小説家の小栗風葉は養母俊の兄に当たる。同じく小説家の小中陽太郎は養母の姪の夫にあたる)宅に引き取られ養子となる。実父は当時東北 大学の学生だった梅原半二(梅原半兵衛の弟)トヨタ自動車常務取締役や豊田中央研究所代表取締役所長を務めた。小学校の頃は遊んでばかりいて空想好きのために勉強に身が入らず、愛知一中の入試に失敗している。私立東海中学に辛うじて入学。内海の実家からバスで名鉄河和駅から2時間半をかけて通学した。1942年、広島高等師範学校に入学するが 二ヶ月で退学、翌年第八高等学校入学。最近は精力的に神道・仏教を研究している。現在の本家は、荒れ放題になっていたが、梅原猛の実父半二から譲り受けたトヨタ自動車の株を南知多町に寄付し、株を換金したお金で本家を改修し、内海地区の有志で組織された、梅原猛友の会が管理している。
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