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中山道 詳細はこちら

初夏の中山道を馬籠から妻籠奈良井まで散策し見どころをピックアップしました。新緑の木曽路は古い石畳とマッチしてすがすがしい風景でした。今も残る旧街道の雰囲気を味わい、民家や伝統的町並みなどの景観を楽しんで撮影しました。

国宝「犬山城」 詳細はこちら

国宝「犬山城」は、室町時代 の1537年に建てられました。 天守は現存する日本最古の様式です。 木曽川のほとりの小高い山の上に建てられ、 天守閣からの眺めはまさに絶景。 周辺には犬山城下町の古い町並みや,多くの観光施設があります。

妻籠宿 詳細はこちら

妻籠宿は中山道と飯田街道の分岐点に位置し、古くから交通の要所として栄えた。昭和43年に町並みの保存が始められ、昭和51年に国の重要伝統建造物保存地区に選定される。全長約500mの町並みは、江戸時代にタイムスリップした感じで、どれも当時の面影を今に伝えている。

馬籠宿 詳細はこちら

中山道の難路、木曽路の最南端に位置する宿場町として栄えた馬籠宿。 全長600mの石畳の坂道に沿って、軒の低い格子造りの家並みが宿場時代の面影を残す。 明治28年の大火事により江戸時代からの建物は焼けてしまったが、町の人達の努力で、当時を彷佛させる。

真田邸(文武学校) 詳細はこちら

真田邸は江戸時代には新御殿とよばれ、松代城の南側に位置して元治元年に建てられました。昭和56年に松代城の附(つけたり)として国の史跡指定を受けました。文武学校は、松代藩士の子弟の学問・武芸を奨励するため、8代藩主真田幸貫により佐久間象山の意見を受けて、蘭学・西洋砲術など積極的に取り入れた藩校として計画され、安政2年に開校しました。

豪商の館田中本家 詳細はこちら

江戸中期1733年、穀物・菜種油・煙草・綿・酒造業などの商売で繁栄し、代々須坂藩の御用達をつとめ、名字帯刀を許される大地主でその財力は須坂藩をも上回る北信濃屈指の豪商でした。当時の面影を伝える屋敷構えは、約100m四方を20の土蔵が取り囲む豪壮なもので、池泉廻遊式庭園のほか、客殿や主家などの建物が軒を連ねており、四季折々の風景が楽しめます。

飛騨古川 詳細はこちら

江戸幕府の天領であった飛騨古川。歴史の重みを感ずる城下町は、出格子の商家や白壁の土蔵が続き、鯉の泳ぐ瀬戸川の清流のせせらぎが街の中心にあります。

飛騨高山 詳細はこちら

飛騨高山は、小京都と言われています、それは古い町並みと陣屋にあると思います。その陣屋周辺の 昔ながらの建物や面影は、古きよき日本の雰囲気を感じ取ることができます。古い町並み、保存地区として高山市民が一丸となり昔のままを守り続けています。

松島日本三景 詳細はこちら

松島のシンボル・五大堂は、大同2年坂上田村麻呂が東征のとき、毘沙門堂を建立し天長5年慈覚大師円仁が延福寺を開基の際、大聖不動明王を中心に、東方降三世、西方大威徳、南方軍荼利、北方金剛夜叉の五大明王像を安置したことから五大堂と呼ばれるようになりまし

天橋立 詳細はこちら

日本の名松百選にも選ばれています。天橋立の端から端までは、徒歩で約1時間。天橋立の松の中には、大正天皇お手植えの松や昭和天皇お手植えの松も植わっています

三方五胡 詳細はこちら

三方五湖は、福井県三方郡美浜町と同県三方上中郡若狭町に跨って位置する5つのの総称。国指定の名勝で、狭湾国定公園に属する。2005年11月8日付でラムサール条約指定湿地に登録されている 

  函館山 詳細はこちら

山頂へはロープウェイ、タクシー、バス、自家用車で登ることができる。また、登山道を徒歩で登るのも可能です。頂上からの展望は昼も夜も素晴しいが、特に夕暮から夜にかけての景色がお薦め 

  高千穂峡 詳細はこちら

高千穂峡は、その昔阿蘇火山活動の噴出した溶岩流が、五ヶ瀬川に沿って帯状に流れ出し、急激に冷却されたために柱状節理のすばらしい懸崖となった渓谷です

万座毛 詳細はこちら

沖縄本島のほぼ中央に位置し、隆起サンゴの断崖から臨む東シナ海は、海中のロケーションと共に海の色合いを変化させ、とても綺麗で雄大な景色が広がります。 万座毛の由来は、「万人も座する草原」。『毛』とは、野原のことです 

硫黄山 詳細はこちら 

川湯温泉から約3キロに位置する硫黄山は、アイヌ語でアトサ(裸)ヌプリ(山)と呼ばれ現在でも硫黄の噴煙がゴウゴウと音を立ててあちこちから立ち上っておりその姿はまさに地球の鼓動を感じるという表現がふさわしい印象を受けます 

サロベツ原生花園 詳細はこちら 

北海道の最北端に広がる2万3000haもの広大な湿原は「利尻・礼文・サロベツ国立公園」に指定されています。初夏から秋にかけて、ツルコケモモやヒメシャクナゲ、鮮やかな黄色をしたエゾカンゾウや可憐な紫のエゾリンドウなど、約100種にも及ぶ湿原植物や花々が壮観。 

熊川宿  詳細はこちら 

宿場町の面影を残す熊川の町並み。 まちを通る若狭鯖街道は、日本海と京都を結んでいた。 この道を、多くの人や物、そして文化が行き交った。 昔の面影を残す趣のある街並みです 

  内子町  詳細はこちら  

町並みは、浅黄色と白漆喰で塗りごめられた重厚な外壁があり、棟を街路と平行に通す平入造りで、街路に面した壁面が通っています。隣家との間には道路や水路空間を残し、この路地空間は、他では見られない造形美を醸し出しています 

  姫路城 詳細はこちら  

日本の桜の名所100選に選ばれ、白壁や石垣、天守閣と桜が美しい景観を織りなす姫路城は、1333年に、赤松則村がこの場所に 砦を築き、その子貞範が1346年に初めて城を構えたと言われています 

  二条城 詳細はこちら 

徳川幕府における京都の拠点となった二条城は、徳川家康が慶長8(1603)年に京の宿館として建設した平城。家康と豊臣秀頼との会見場所となったほか、幕末の慶応3(1867)年には15代将軍慶喜がここで大政奉還を行った 

宗谷岬  詳細はこちら  

宗谷岬は北緯45度31分14秒にあり文字通り日本最北端の地に建てられています。三角錐のデザインは北国のシンボルである北極星の一稜をモチーフにしています。塔の中央にあるNの文字は北を台座の円形は平和と協調を表現しています

辺戸岬  詳細はこちら  

辺戸岬は、沖縄海岸国定公園の一部で、沖縄県国頭郡国頭村辺戸に属し、太平洋及び東シナ海に面する岬で沖縄島の最北端にある。当日は好天に恵まれ22km離れた奄美諸島の与論島や沖永良部島を望むことができました 

  東寺(世界遺産 詳細はこちら 

宿場町の面影を残す熊川の町並み。 まちを通る若狭鯖街道は、日本海と京都を結んでいた。 この道を、多くの人や物、そして文化が行き交った。 昔の面影を残す趣のある街並みです 

  三千院  詳細はこちら 

町並みの特徴は、浅黄色と白漆喰で塗りごめられた重厚な外壁があり、棟を街路と平行に通す平入造りで、街路に面した壁面が通っています。隣家との間には、道路や水路空間を残し、この路地空間は、他所では見られない造形美を醸し出しています

  鎌倉大仏 詳細はこちら 

鎌倉を代表する名所の高徳院の本尊である大仏は、北条泰時の時に、淨光という僧が諸国を勧進して浄財を集めて歩き、1238年3月から大仏と大仏殿を造り始めた。そして大仏開眼は5年後の1243年6月11に行われた

  吉野山蔵王堂  詳細はこちら  

吉野山が日本一の桜の名所となったのは、奈良時代の昔、役行者が金峯山寺を開くとき、感得した蔵王権限を桜の木に刻んだ故事から、神木として保護されてきたため。以来、寄進も相つぎ、吉野に住む者は桜を慈しんで大切にしてきました 

鶴ヶ城 詳細はこちら  

会津若松市のシンボル鶴ヶ城(若松城址)。 数多くの戦国大名が治め、幕末戊辰の戦役でも有名なこの城は現在、本丸を「鶴ヶ城博物館」として貴重な資料を展示公開しております 

  首里城 詳細はこちら 

首里城は、琉球王国の幾多の興亡を伝える歴史の証人。琉球の島々を治め、中国、日本、朝鮮、東南アジアの国々と外交、貿易を展開した首里王府の司令塔として王とその家族等が住み、華麗な王朝文化に彩られた空間でたした  

  長篠の合戦跡 詳細はこちら  

長篠の合戦は、現在の新城市(鳳来町)長篠で行われた。織田・徳川連合軍の鉄砲隊が、武田の騎馬隊を打ち破った戦いとして知られています。鳳来町にある長篠城址史跡保存館には、長篠の合戦に関係した、数々の資料が展示されています 

飯盛山 詳細はこちら  

飯盛山は、 白虎隊の墓が山中にある。昔は正栄寺や宇賀神社、さざえ堂などのある景勝地として知られていた。明治17年に自刃19士の墓が建ち、その後、戦死31士の墓を追加、また自刃の場も整備された 

  津軽 詳細はこちら 

慶長16年に築城。天守や櫓など築城時の形態がそのまま残された城址は全国でも珍しく、東北で唯一当時の天守が現存する。春は、桜の名所としても全国的に有名だが雪の積もった2月の弘前公園内は誰もいなかった 

松山   詳細はこちら  

松山城の築城者は、賤ヶ岳(しずがたけ)の合戦で有名な七本槍の一人、加藤嘉明である。嘉明が25年(1602〜1627)の歳月をかけて築いた松山城は、勝山山頂に本丸・中腹に二ノ丸・山麓に三ノ丸を整備した広大な規模の城郭であった。 

  浅草寺 詳細はこちら 

東京都内最古の寺院である。山号は金龍山。本尊は聖観音(しょうかんのん)。もと天台宗に属していたが第二次世界大戦後独立し、聖観音宗の総本山となった 

  興福寺 詳細はこちら  

前身は飛鳥の「厩坂寺」であり、さらにさかのぼると天智朝の山背国山階寺が起源となります。その山階寺は、天智8年に藤原鎌足が重い病気を患った際に、夫人である鏡大王が夫の回復を祈願し釈迦三尊、四天王などの諸仏を安置するために造営したものと伝えられています 

輪島朝市 詳細はこちら 

輪島の朝市は、日本三大朝市の一つとして有名で、多くの観光客が来るところです。日本の三大朝市は、岐阜県の高山市・千葉県の勝浦・石川県の輪島市の三つの事を言います

  天王川公園 詳細はこちら  

知県津島市名鉄津島駅から西へ徒歩で15分程にある、天王川公園の藤棚は面積で日本一す。フジは津島市の花に指定されています 。また、津島は古来「藤浪の里」と呼ばれ、本年は4月24日〜5月5日まで天王川公園では「藤まつり」が開催されます

  アツモリソウ 詳細はこちら 

敦盛草 アツモリソウ. 蘭(ラン)科。 大きな花が特徴的で、人気があるが 栽培は難しく「幻の中でも幻の花」 と呼ばれています。 ... 小敦盛草(コアツモリソウ). フキの葉のような部分から下に花が下がっている。 写真は、北海道礼文島の大小敦盛草

大宰府天満宮 詳細はこちら  

太宰府天満宮は、菅原道真(すがわらみちざね)公(菅公)の御墓所の上に社殿を造営して、その神霊を御奉祀する神社で、「学問の神」「至誠の神」として世の崇敬を集めています

  高台寺 詳細はこちら 

正しくは高台寿聖禅寺といい、豊臣秀吉没後、その菩提を弔うために秀吉夫人の北政所( ねね、出家して高台院湖月尼と号す)が慶長11年(1606)開創した寺である

香嵐渓 詳細はこちら  

香嵐渓のもみじは、香積寺11世の三栄和尚が、江戸時代の寛永11年に植えたのがはじまりといわれています。三栄和尚は、美しい自然を、より美しくとの願いをこめて、巴川沿いの参道から香積寺にかけて。楓、杉などを、般若心経を1巻詠むごとに、1本1本植えていきました

  実光院  詳細はこちら 

実光院の見所は素晴らしいお庭です。実光院のお庭は眺める庭だけではなく、歩ける庭で。鑑賞式庭園の契心園は江戸から続く実光院の主庭です、庭の中央部にある珍しい桜は、紅葉と桜(不断桜)が同時に楽しめる珍しいお庭です

寂光院 詳細はこちら  

寂光院は天台宗の尼寺で、山号は清香山、寺号を玉泉寺という。推古2(594)年に、聖徳太子が御父用明天皇の菩提を弔うために建立された

   ヘブンスその原  詳細はこちら 

ヘブンスそのはら」は、中央アルプスの恵那山(2191m)東山腹にあります。山麓から山上の展望台(1600m)まではロープウェイがあり、三段の紅葉が楽しめます。ここの紅葉シーズンは、富士見台高原(1739m)付近が例年では10月上旬頃に始まり、展望台付近は10月中旬頃から、山麓駅付近では11月下旬頃まで紅葉が見られます

奈良公園 詳細はこちら  

1998年に古都奈良の文化財の世界遺産への登録が決定しました。国宝建造物があり、敷地が史跡に指定されている東大寺・興福寺・春日大社・元興寺・薬師寺・唐招提寺特別史跡・特別天然記念物に指定されている平城宮跡・春日山原始林が、「古都奈良の文化財」という名称で、全体がひとつの文化遺産として登録されています

    飛鳥U 詳細はこちら 

日本一の豪華客船「飛鳥U」(50,142総トン)で名古屋港金城埠頭からクリスマスクルーズに行ってきました。さすが初代「飛鳥」の伝統を引き継ぐ豪華客船 、心のこもったもてなしと豪華な船内での数々の催し、素晴しいクルーズを楽しんできました

東京湾 詳細はこちら  

東京湾から眺める都心の高層ビル群の風景はいつも見かける都心の風景と違って最高です。

 

    伏見稲荷大社 詳細はこちら 

枕草子や蜻蛉日記にも登場する有名な伏見稲荷大社は、稲荷神社の総本宮。 稲荷山の山上から麓まで無数に朱の鳥居が並んでいる。創建は古く、和銅4年(711)で、 渡来人の秦氏が農耕神として祀ったのが最初という。

護王神社 詳細はこちら  

和気清麻呂が宇佐へ配流の際に、道鏡から送り込まれた刺客に襲われたのを、突如現われた300頭の猪によって難事を救われたとの伝説から、明治23年から狛犬の代わりに狛猪が置かれており、いのしし神社といわれる。


 

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