
勝田橋 かつたばし
完成 昭和35年6月 橋長 183.9米
ひたちなか市勝倉-水戸市吉沼町 路線 県道351号
平成6年11月に勝田市と那珂湊市が合併し「ひたちなか市」となったが,いまだに勝田・那珂湊と呼ばれる場合が多い。「勝田」というと今は旧勝田市全域をそう呼びとても広いが,元来の地名の由来から考えると 少し違ってくる。
「勝田」の誕生は明治22年と意外に新しい。勝倉・武田・金上・三反田の4か村が合併し,勝倉の「勝」と武田・三反田の「田」を取った地名で旧勝田市の南東部を指す。但し,今の青葉町・表町・春日町・大成町・東雲町・大平2〜4丁目はもともと勝倉。というのが武田にもあり一概に今の住所表記から読み取れないが 今の勝田中心部も入る。
という具合に誕生した地名だが昭和15年に勝田・川田・中野の3か村が合併する際に,中野の「中」と勝田・川田の「田」をとり中田町とする案があったそうだが,県に一任し軍需工場日立制作所の進出が喫機とし成立した町であり,戦時下でもあったことから「勝った」にあやかり勝田と名付けたそうだ。以後人口も急増・戦後は警察予備隊(現・自衛隊)の誘致によって発展。そして昭和29年に前渡村・佐野村と合併により市制施行。
「勝田」の歴史について大まかに・・少し長く書いてしまいましたが,その勝田の名を刻んでいる「勝田橋」は 正しく元来の勝田と水戸を結ぶ橋である。昭和35年完成で少し狭い橋で,湊大橋と水戸大橋の間にあるが勝田の中心部に直通する道路の橋として役割は重い。
水戸方面




↓ 那珂川下流方面


那珂川 川上(上流)方面
↑↓奥の橋が「常磐線」

ひたちなか・勝田方面







これより ひたちなか市。旧・勝田市


