飯豊山登山 (1976年8月)
年月日: 1976年8月9日〜12日
目的: 飯豊山登山 ・生物部合宿
出発点: 山都町・御沢小屋(標高m付近)
到達最高地点: 飯豊山神社(標高m)
到達最遠地点: 同上
天気: 9日・10日雨、11・12日快晴
出発時刻:  
到着時刻:  
総所要時間:  
その他:  
高校を卒業してから27年以上経過して、突然、高校2年の夏に飯豊山に生物部の合宿で登った記録を思い起こした。当時の記録は生物部の活動記録書にまとめてあったが、卒業以来目にしたことはなかった。7月中旬に帰省した際に探したところ、懐かしいガリ版刷りの福島県立会津高校生物部会報「玉虫第17号」を発見。半分程度埋もれた記憶が鮮やかに蘇った。今読み返してみると自分の執筆した箇所にはかなり青臭いことが書いてあるが、総じて当時16、17歳の高校生の部員達が執筆した内容が驚くほど表現が巧みで構成がしっかりしていることに驚かされる。この時点から自分の文章能力や感性は全く成長していないどころか衰えてしまったかのようだ。無限の可能性を信じて勉学や部活動に打ち込んでいた頃の血気盛んな若者の姿と、おおかた人生が見えてしまった今の自分を較べると、ちょっと複雑な気分でもある。

8月に入って、会津高校生物部OB会の入会の誘いがあり、電子化された「玉虫第17号」のコピーが同封されていた。卒業後27年を経過して自分の回顧と会報電子化復刻が同期するとはなんという偶然か。過去の貴重な活動記録が電子化されて蘇ったことは大変喜ばしい。いまや母校も共学校となり男子校当時の雰囲気は完全に過去のものとなった。生物部も部員が集まらず休眠状態であるという。再び若者の探究心が芽生え、生物部が再興することを願わん。

会報に収められていた飯豊山登山の記録には1,976年当時の飯豊山の様子が記述されている。これからの登山に役に立つとは思えないが、飯豊山の歴史の一コマを記す意味で、ここに部分的に改訂し抜粋する。

初日(8月9日)の行程: 会津若松駅 −(磐越西線)− 山都駅 −(タクシー)− 御沢小屋 − 横峰小屋(宿泊)

生物部の夏の合宿として、飯豊山に登ることになった。生物部の面倒を見ていただいていた江川先生と菅野先生はともに学生時代から登山の経験が豊富で、且つ植物に精通している。かたや部員はまともな登山経験が無い。最高のフィールドで見識の深い両先生にご指導を受けながら登山と植物学の研修をするのが目的である。登山用具など何も持っていなかったので、夏休みに入ってから菅野先生につきあっていただきリュックやシュラフを調達。ごつい登山靴は買わず、軽快な運動靴で通すことにした。

メンバーは生物の江川先生、菅野先生、3年生の横山さん、2年生の小林、曽根、鈴木(私)の計6名。私以外は全員会津若松市在住である。本当はもっと早く出発できたはずだが、猪苗代から向かう私の都合に合わせて会津若松駅期に集合し、磐越西線で8時28分に山都駅着。天気はあいにく雨。すでにバスが出たあとだったので、タクシー2台に分乗。このタクシーが勇ましいのなんの。水溜りを跳ね飛ばしながら未舗装道路をガンガンかっ飛ばす。

09:30 御沢小屋到着  登山者名簿に記入。ここでしばらく雨宿り。

10:47 小降りになったのを見て強行出撃。  10歩も行かぬうちに生きた植物図鑑こと江川先生の植物の講義が始まる。時に激しく雨が降る中でブナの樹林の中で受けた授業は思いで深い。身近な植物でありながらマタタビを識別できるようになったのはこの時が初めてだった。江川先生が藪中でウメガサソウを見つけて興奮気味。ウメガサソウなんてこの時以来目にしたことがないのに、記憶ははっきりしている。中十五里で昼食(記憶は無い。)。延々と樹林の中を登って上十五里を過ぎ、ようやく横峰小屋に着く。

13:39 横峰小屋到着  一つ上の地蔵小屋の水の便や、メンバーの状況を考えて横峰小屋に泊まることになった。雨で足止めをくった単独行者が4名いた。小屋のご主人はかなりの年配の方で、息子さんと交替で山小屋を管理しているとのこと。

横峰小屋は地面と軒先の間が狭い。ブナの薪を燃料にしているので、小屋そのものが燻されて、一日滞在するだけで体が燻製の臭いになる。一通り、小屋の周囲の説明を受け、便所、池、水場を確認。夕飯は五目飯であった。

初めての飯ごうでの炊事、初めてのシュラフでの睡眠、初めての山小屋の宿泊。山小屋に宿泊したのはこのときが最初で最後。今でも山小屋といえば横峰小屋を思い浮かべるのだが、他所ではこのような小屋にお目にかかったことがない。現在は横峰小屋は存在せず、横峰小屋跡として語られるに過ぎないとか。いつか再訪したいものである。

二日目(8月10日)の行程: 横峰小屋 − 地蔵小屋 − 剣が峰(途中まで) − 地蔵小屋 − 横峰小屋(宿泊)

5時頃起床。ガスがかかっていたが、暑い雲の間にチラッと青空も覗く。雲の流れは相変わらず速い。朝食の献立は缶詰、キャベツ、味噌汁。曽根君が野菜不足にならぬように主張して持ち込んだキャベツを毎食一枚づつバリバリと食するのであるが、なかなか好評であった。母が毎日の弁当に入れてくれたキャベツの千切りが苦手だったのに、山中で一枚ずつ剥がして食べるキャベツのおいしさに目覚めて、その後野菜大好き人間に変身したのであった。我々が朝食を食べている間に、同じ小屋に泊まっていた3人が早くも上へ出発していった。食後、後片付けをしているうちに、ポツリポツリと雨が降ってきた。「今日は、あとで荷物を持たずに途中まで、まわりの草木を見ながら行こう。」ということになり、午前中は植物の本を読んだり、先生が附近から採ってこられた植物を調べたり、また、濡れた靴や衣服をいろりのまわりで乾かしたり、小屋のご主人と話したりしておもいおもいに過ごした。 小屋のご主人が自然監視員も務めていると聞いて、採取した植物の葉を見せて講義していた江川先生が少々うろたえる。ご主人曰く、「まぁ、こういう目的ならば問題ないでしょう。」。小屋のご主人はこんなことも話してくれた。「すぐ裏に、小屋専用の炊事用の池があるのだが、この小屋は季節小屋なので、9月頃にたたんで、そのついでに池の水も汲み出していくのです。ところが、翌年来てみると、もうカエルやサンショウウオがいるのです。」。行ってみると直径4〜5m、深さ40cm程度の池があり、数十匹のサンショウウオの幼体がいた。

昼食はパン、キャベツ、紅茶。

13:40 横峰小屋出発   荷物を持たず出発。雨がポツポツ降ってはいたが、昨日とは異なりまわりの山々がはっきり見える。時折、江川先生の植物名の説明がある。菅野先生はカメラマンの腕を発揮。この時、菅野先生はスライド用のポジフィルムを使用していた。登山道は長年にわたる大勢の登山者の一歩一歩と雨水で深く掘れている。稜線の上にV溝が走る感じ。地蔵小屋まではさほどきつい登りはない。

14:30 地蔵小屋(地蔵山)到着   雨は止み、ガスも薄れ、遠景もうっすらと見える。先生から聞いていた「血の池」に行く。大きさは横峰小屋の池と同じくらいで楕円形。名前の通り赤っぽい。この場所にふさわしい色を持つイモリがいた。江川先生は、以前奥さんと登ったときに、地蔵小屋に暗くなって着いて、炊事のために水を汲みに行って帰って鍋をみるとイモリが入っていたそうな。池の脇の湿地には花期の過ぎたミズバショウやネバリノギランや、モウセンゴケがあった。特にモウセンゴケの個体数が多かった。

地蔵小屋を過ぎるとしばらく緩やかな下り坂になり、再び登りとなる。道端にイワモノが目立つ。午前中の勉強で食べられることを知っていたのでちょっと頂く。まあまあの味。だんだん尾根に視界を遮る樹木が少なくなり周りの景色も見えるようになる。ガスはほとんどなく、ちぎれたガス塊が時折通りすぎる。地蔵小屋から見上げたとき、三国小屋に行く前にひどい岩場が見えた。これが剣が峰で、尾根道は岩場の稜線にある。痩せ尾根のツルツル岩場や、1mくらいの段差が続く。もっともキツイ場所までは行かず、バイカツツジのある大岩で折り返す。

15:30 引き返す。   帰りは本格的に植物を観察。

16:20 横峰小屋帰着。   翌日は横峰小屋をベースキャンプにとして、ここに荷物を置いて本山まで一気に往復することに決定。

三日目(8月11日)の行程: 横峰小屋 − 地蔵小屋 − 三国小屋 − 切合小屋 − 飯豊山神社 − 切合小屋 − 三国小屋 − 地蔵小屋 − 横峰小屋

五時頃起床。今日は飯豊山神社まで往復するのだ。朝食は全員共同で握り飯を作る。

六時過ぎに出発。ほどよくガスがかかっているので直射日光を浴びず、気温も上がらないためいくらあるいても汗をかかない。登山には最良のコンディションである。血の池のイモリを見てから三国岳を目指す。昨日来た剣が峰に差し掛かったころに、次第にガスが消えていった。

鎖場を過ぎ、出発から2時間ほどして三国小屋到着。飯豊山神社まで稜線部は福島県だが、実際には福島・山形・新潟の3県にまたがった地域である。だから三国小屋というのだろうか(父から聞いた話では、ここで三県にまたがって小便をして喜んだとか。)。三国小屋からは小起伏が続く単調な尾根伝いの道を行く。だんだん日差しも強くなってきた。センジュガンピやニガナなどの花が目立つ。江川先生に植物の名などを教わりながら進むのでなかなか楽しい。斜面の草原ではニッコウキスゲがそよいでいる。

種蒔山に着く。皆、腹が減ったといって私の方を見る。山に入って以来元気が良いとのことで、皆は空身なのに私だけ今日の食料運びをすることになった。この時点での体調はベスト。

単調な行進がついに崩れた。樹木の無い風変わりな平坦地に出たのだ。ところどころハイマツがへばりついている。あたりの小さな池などにおいてはウメバチソウなどとともにモウセンゴケも見つけることができる。全体としてはなだらかな女性的な風景であると言える。切合(きりあわせ)はもうすぐだ。イワナシの実を見つけて食う。直径5mmくらいなのだが、色も形も本物のナシそっくりであった。

三国小屋を出発して2時間ほどして切合小屋に到着。ここの便所はひどいものだ。便所の傍がゴミ捨て場であるために、そこで育ったハエがたかって、便器は真っ黒。近寄ればワンワンとうなる音が聞こえてくる。これにはゲテモノ好きの生物部も思わず後ずさり。残念なことに江川先生はここで引き返すとのこと。よって5人で本山を目指す。

草履塚という場所がある。ここにある地蔵(姥権現)はなんとボインちゃんなのだ。菅野先生はボインを撫でて一人喜ぶ。飯豊本山までの行程で最も険しいと思われる御秘所に到着。端まで行って下を眺めてみる。なるほど、垂直というよりもむしろ反り返っているとさえ思える素晴らしい崖である。御秘所を過ぎると飯豊山神社はもうすぐ。空にはわずかに絹雲が見えるだけだが、風が強い。うっかりすると西側から吹く強風に帽子を吹き飛ばされそうになる。ほんのわずか山の裏側にそれると、もうそこには強風はない。向こうの草原が風になびいていくのが見える。平和だ。

12:45 本山小屋到着。   飯豊山神社参拝の後、昼食をとる。ここでは古くから信仰されてきた飯豊山の昔の登山道などを示す古地図やバッジなどが売られていた。三国、切合、本山の各小屋はヘリコプターで資材を運んだというだけあって外見はなかなか立派であるけれども、内側は土間に筵を敷いただけのものである。これらに較べると、いくら外見上はみすぼらしくても、床がついているだけ、横峰小屋、地蔵小屋がすばらしく思える。

記念撮影後、すごい速さで起伏を登り下りして岐路につく。切合に着く前にイイデリンドウやシラネアオイを発見。特に雪渓の横でひっそりとつつましやかに咲いている淡い色のシラネアオイを見つけたときは嬉しかった。

13:10 切合小屋到着。
14:15 地蔵小屋到着。   私は疲れは感じるもののまだまだ元気。剣が峰を下り、疲れきってしまった小林君と曽根君を残して水場に水を汲みにいく。水は信じられないくらい冷たかった。菅野先生曰く、「ここで日大の学生が転落して死んだ。」おかげでますます体が冷えてしまった。   

15:43 横峰小屋帰着。   この日の夜は格別であった。雲が無いために会津若松方面の街の灯がはっきりと見える。突然、下の暗闇から歌声が聞こえてきた。便所も小屋の下手にあるし、さきほど菅野先生がその辺りにいたので用をたしにでも行ってきたのだろうとの旨を曽根君に伝えたところ、彼は本気で信じ込んでしまったのだ。暗闇の中からガサッと一人の登山者が現れたとき、彼は「先生、テラテラやってきたんですか?」と聞いてしまったのである。

注: 横峰小屋の便所はそれはもうひどいものである。小の方はどこへでもご自由に、大の方は決まった場所はあるにはあるのだが、囲いがなくトタン板で小屋の方から見えなくし、下を掘って、その上に棒をのせて足場を作っただけのものである。江川先生は糞がくずれてベチャベチャになっている様子を形容してテラテラと称したのである。以後、我々は便所に行くことをテラテラと言うようになった。

その登山者は一瞬戸惑った様子で答えた。「エッ・・・・テラテラやってこない。」 彼はテラテラを「懐中電灯」と解釈したのだ。この夜中に切合まで登るのだそうな。驚異である。

深夜目を覚まして、一人外に出てみた。日中の暑さとは対照的にとても冷え冷えとしている。静かだ。盛んに鳴いていた裏の池のカエルも寝てしまったのだろうか。

四日目(8月12日)の行程: 横峰小屋 − 御沢小屋 − 川入集落 − (バス) − 山都駅 − (磐越西線) − 会津若松駅で解散

快晴。私が女性登山者の前で派手に転倒した以外はアクシデントもなく順調に御沢小屋まで下山。バスに乗るために川入まで歩いた。道路をサワガニが横切っていたりして豊かな自然が残されている所であった。