関連記録
行程: 尾頭トンネル(三依側出口)(11:55)〜22号鉄塔(12:55-13:05)〜尾頭峠(13:08)〜尾頭道に入る(13:10)〜アスナロ帯(13:26)〜シダ群生地(13:46)〜切り通し(13:56)〜テンニンソウの群生する谷(14:08)〜橋の跡@(14:20)〜薙を高巻く(14:50-15:04)〜スギ植林地でジグザグ(15:10)〜橋の跡A(15:19)〜国道400号(15:26)〜駐車地(16:10)
まとまった降雨で那珂川の水位が2mも上昇し、繁茂する青ノロがぶっ飛んでリセット。2週間後のアユ釣りが楽しみ。土曜は梅雨の貴重な晴れ間が望めるとのことで、久し振りに山歩きの準備。今回は尾頭トンネルから尾頭峠に登り、尾頭道を辿って三依に下り、国道400号を歩いて駐車地に戻ろうという計画。ところが、5月に小法師尾根歩きの時に購入した磁石が見つからない。小法師尾根はルーファン不要につき、結局一度もお世話にならないまま紛失したということか。でかける度に何かなくなる。「どうせ失くして頭にくるくらいなら初めから持たなければ良いのだ。」という非常識な結論を導き強引に気を取り直した。迷うような場所ではないので今回は地図も磁石も無し。高度計だけ持っていく。
目覚ましをかけ忘れて、起きたら7時過ぎ。空はどんよりとして晴れる雰囲気無し。天気予報も曇りに変わってしまっている。でかけるのはやめてテレビを見ていたら陽射しが出てきた。ムムッ。行くか行くまいか逡巡したが、ダメ元で塩原へ。県北は積雲が発生して少し嫌な雰囲気。それでも結構陽射しがあって明るい。尾頭トンネルの三依側の駐車場に車を停めた。
11時55分 尾頭トンネルの三依側出口の駐車場から歩行開始(標高約800m)。 ここから登るのは初めて。トンネル正面左側に東電の巡視路入口がある。取り付きが崩れて少々判りにくい。てっきりこの道が明治の尾頭道であると思い込んでいたのだが、道幅が狭いので疑念が湧く。道は尾根突端の急斜面を細かくジグザグに高度を稼ぐ。気温は既に25℃で前日の降雨で湿度が高い。いつもの70%程度のペースでゆっくりと登る。ブナやイヌブナの緑とハルゼミの合唱につつまれる。樹間から会津の七ヶ岳が望める。路傍にはギンリョウソウが咲いている。
いったい何回折れ曲がったであろうか。高度1,100m近くで道はほぼ高度を維持しながら山腹を南に向かう。景色を眺めながら昼食にしたいので、まず鉄塔22号に上がった。
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22号鉄塔にて(標高約1,180m) 12:55-13:05 何回来てもここの眺めは飽きさせない。
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短い昼食休憩後、尾頭峠に降り立った。いよいよ本日の本題に入る。
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尾頭峠(標高約1,140m) 13:08 |
峠から巡視路をほんの少し戻ったところに峠道らしきものが分岐している。ミヤコザサがやや深いが歩きにくくはない。
| 尾頭道分岐 13:10 右側が尾頭道、左の明瞭な道が尾頭トンネルに下る巡視路。
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これが江戸時代の尾頭道であろうと思っていたのだが、巡視路よりも道幅が広いので明治の尾頭道である可能性が出てきた。
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尾頭道(1,236mピーク西側) 13:19 幅広でしっかりした造り。最初はルンルン気分。
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尾頭道は標高約1,130mを保ったまま1,236mピークの山腹を巻いて北側に回り込む。栃木でやたらと見かける例の赤テープが点々と残されていた。劣化していないのでつけたばかりらしい。自己顕示が目的の偏執的な付け方なので腹が立つ。あまりにしつこいので途中から全部回収。アスナロの藪を抜けると急峻な地形となり、岩を削った場所が続く。これは塩原側の明治時代の尾頭道と同じだ。尾頭沢右岸尾根にある道は江戸時代の街道ではなくて明治時代の街道であったのだ。ということは・・・。
嫌な予感。
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尾頭道(1,236mピーク北側) 13:29 段々怪しげな雰囲気に・・・・。
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明治の尾頭道は所構わずダイナマイトで爆砕しながら建設した道だから、崩落していれば行き止まりとなる。案の定、何箇所も崩落したり土砂で埋まったりしており、掴まる物がなく少しでも滑ったら墜落するのは確実。塩原側よりはるかに危険だ。
高度が下がるとミヤコザサ帯からスズタケ帯に移り少々雰囲気が悪くなる。シダとブナが美しい沢を過ぎ、切り通しを抜けると、路肩を補強する石積みが現れる。塩原側では石積みは皆無だが、三依側ではこれ以降何箇所も存在する。
| シダとブナの谷 13:46 谷上方を見上げた構図。
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切り通し 13:56 これで明治の尾頭道であることを確信。
江戸時代の街道の基本は、最も安全に辿れる地形を選んでコストを最小限にすることであったといって良い。当時の技術・財力では自然の地形をうまく利用するしかなかったという事情もあろう。歩き易さや行程短縮のために地形を変えることはなかった。
これに対し、明治以降は土木技術の進歩によって、歩き易さや行程短縮を目的に強引な道路建設をするようになった。明治時代の尾頭道はその典型例であり、山腹の勾配に関係なくガンガン掘削して、道路勾配を一定に保つように設計されている。現代の塩那道路のミニチュア版である。
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石積みを撮影し終わって前方を向いたとき、登ってきた2頭のシカとはちあわせ。シカが利用しているならこの先安全だろうと期待したのだがとんでもない。崖を左下に見ながら跳ねて渡らなければならない場所もある。難所を抜けると広くテンニンソウが繁茂する沢に至る。水量は多くないがきれいな滝が連なり雰囲気が良い。その次の谷できれいな沢水で顔を洗ってリフレッシュ。この沢を下れば尾頭トンネルの横に出るはずである。確かこの辺りでも標高1,000m前後であったと記憶している。
路肩補強の石積みだけではなく橋の跡も残っている。これも塩原側には見られない。
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橋の跡(1,185mポイント南側の谷) 14:20 内側の一段低いところに丸木を渡す構造である。
橋の跡はもう一箇所、国道400号に出る手前にもあり、朽ちた丸木が2本残っていた。
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1,185mポイントの南の尾根を回り込むと雰囲気が明るくなり、国道400号を走る車の音が聞こえるようになる。樹間から尾頭沢左岸のシェルターが見える。後は楽勝との気分が漂い始めた矢先に、崩落箇所が現れた。薙が進行して完全に崩落してしまっている。しかたがないので大高巻き。崩落箇所は一箇所だけではなく、その先も大規模に崩落している。さらに、薙が直下まで迫っていて近い将来崩落するのが確実と思われる場所もある(この場所は尾頭大橋から眺めることができる。)。
手入れされていない植林地で道は2回折れ曲がって高度を下げ、981mポイントの南側で国道400号線に徐々に近づく。最後は法面の擁壁の上に出た(尾頭トンネル出口からちょうど1kmの地点)。国道400号建設時に削られて消えてしまったのである。少し戻って壁の無いところから国道に降り立ち、しばし三依側に歩いて道の続きを探ってみたが、国道の道筋とダブっているようで見つからない。古道歩きの目的は十分に達成したので、ゆっくり道草しながら駐車地まで戻った。
16時10分 車に帰着・歩行終了。
塩原ビジターセンターの地図に描かれた江戸時代の道筋(現在はWeb公開されていない。)を参考に歩いたのであるが、これは紛れも無く明治時代の尾頭道である。では、江戸時代の尾頭道はいったいどこにあったのか?塩原側の古道は基本的に沢底にあり、沢を詰めたところから一気に峠に上がる。これと同じパターンであるとすれば、三依側も尾頭沢を詰めていたはずで、現在の巡視路そのものが江戸時代の峠道であることになる。いま一つ確証はないが、巡視路沿いに極めて古い大木の切り株が残っているので、国道400号ができる以前から尾頭沢を人が辿っていたことは確かだ。
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