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7月26日に台風7号がもたらした降雨で栃木県の河川はいずれもリセット。このまま順調に推移したとしてもアユ釣りができるまで復活するには、上流部で約10日、中流部でも2週間以上はかかる。こんな時は普段なかなか行けない場所を歩いてみたい。クソ暑い季節に藪に入るのは御免だ。でも人気の場所には行きたくない。澄み渡った空が期待できないので、景色が良い場所に行くのはもったいない。かくして偏屈者は廃道へ。
天気が不安定で午後には雷雨の可能性があったため、近くの会津西街道の高原越え:五十里〜高原新田間を歩いてみようと思い立った。この区間の正式な呼称は無いようにおもわれるので、便宜的に『五十里道』と表現する。五十里道を辿って鶏頂開拓に至り、二方鳥屋山東の林道を終点まで歩いて高原道を辿って北上し、新大塩沢峠から大塩沢林道(廃道)を歩いて周回する計画である。
我孫子の黒田さんに教えて頂いた情報で、五十里道の国道121号との交差点が片足沢橋付近にあることが判った。これで地図上の大畑沢右岸尾根に街道跡の道筋が浮かび上がった。G.P.S.の発達でいずれ道筋が公開されるであろう。道筋がはっきりして面白みが薄れる前に隠れた道を辿ってみたい。7月17日に福島の田舎からの帰り道に国道121号を通った。この時は地図を持たず、片足沢橋がどの橋なのかも判らなかったので、適当に五十里集落の東側の涸れ沢から大畑沢右岸尾根に取り付いた。街道跡出合いまで探るつもりだったので半袖にカジュアルシューズのいでたち。涸れ沢の急斜面をよじ登ると尾根上は藪が無くすっきりしている。そのまま尾根を辿るとついに五十里道に達した。この時は街道跡と国道121号の交差点を確認するつもりだったので、道を辿って下山。上り下りで分離している橋が片足沢橋であることを認識。取り付き付近に車を停める場所無し。しかもやけに山肌にそってくねくねと距離が長く、スズタケが生い茂って雰囲気の悪い道である。よって、今回の探索も前回と同じ場所から出発する。
07時01分 五十里集落東の涸れ沢から歩行開始(標高約600m)。 前日夜に降雨したらしく、草木は濡れていた。朝の気温は23℃。体感湿度は非常に高い。ガスはかかっていないものの周囲の山の見え方から空中に水蒸気がたくさん含まれているのが解る。これだけ湿度が高い発汗して非常にきびしい山歩きになることを覚悟。
07時18分 会津西街道・五十里道の跡に出る(標高約730m)。 きれいな道跡は放棄されて約140年経過した廃道とはとても思えない。不思議なことに道の上に倒木はあっても樹木は生えていない。誰かが伐採したような跡は無い。140年間、毎日だれかが手入れしていたかの様。日陰にはスズタケがはびこっているが、歩くのに支障はない。雨露で服がびしょびしょになってしまったが、この時期はダニがいないのであまり不快感はない。道跡は稜線を何度か横切る。そのような場所は決まって溝が複線化していて、荷馬が擦れ違うことができるようになっている。
889mポイントを過ぎて支沢源頭部で一旦道は折れ曲がって高度を稼ぐ。尾根上に五十里集落の共同アンテナらしきものが設置されている。標高900mを越えるとスズタケが消えてミヤコザサに替わる。尾根上に植林されている場所があるが手入れの状態は良くない。シカの親子と遭遇。尾根の南側に沿って細尾根に向かう前に道が消失した場所があるので上を巻く。
08時02分 痩せ尾根を渡る(標高約950m)。 痩せ尾根を東進する場所では北側の路肩が崩落しかけている。昔はもっとしっかりしていたはずだが、馬を引いた旅人は緊張を強いられたことだろう。
道は950m級の丸いピークの南側をかすめて南に転じる。この辺りはミヤコザサの笹原で見た目は気持ちがよろしい。しかし、少し立ち止まっただけでアブの攻撃を受ける。ゆっくり地図を広げて現在位置を確認している余裕が全くない。まあ、道跡に沿って歩くだけなので、アブの攻撃を避けることに神経を集中した。よって、この後地図上の何所を歩いたのか曖昧。尾根に突き当たる場所にミヤコザサの広場があり、目的不明の丸い陶製の容器が割れて転がっていた。街道跡で見かけた人工物はこれだけ。道は基本的に尾根の南側にある。道跡が複線化している区間があり、さらに古い時代のものと思われる道跡が尾根の反対方向に向かっている。
1,060mピークの南側ではクマイザサの藪となる。途端にアブの数が増し攻撃が激しくなった。でかい黄色いアブが何匹かいたので、スズメバチの巣に近づいたのではないかと思い、パニックに陥った。集団で襲われたら助からない。汗拭きタオルを振り回しながら必死で数十m逃げたが、気づいた時は眼鏡が無くなっていた。視力を失った状態では安全に山歩きできない。一箇所も刺されなかったのでアブに違いない。おそらくアカウシアブというやつであろう。アブ対策として白いタオルでほおかむりして戻り、四つん這いになって地面に顔を近づけて数十m探してようやく眼鏡を発見。助かった。これで15分程度ロス。
アブもハチと同様、白い物には寄ってこないようだ。アブ対策発見。しかし悠長に地図を広げているほどの余裕は無い。少しでも動きを止めるとメジロアブに手首を刺される。シカが一頭、道跡を勢い良く走り下ってきてはちあわせ。再び反対方向に逃げていった。奴もアブに追われていたのかもしれぬ。こんなにアブの多い場所は初めてである。アブの雌は動物の体液を吸う。幼虫は地中でミミズや昆虫の体液を吸って成長するのだという。シカが多数生息する湿潤なクマイザサ原はアブにとって絶好の生息環境である。
標高1,050mを超えると尾根が広がってしまう。相変わらず道跡の窪みは明瞭だが、あとで地図を見ても何所を歩いたのか良く判らない。北側に沢音が聞えた。よって、1,151mピーク南の沢の左岸(南)を進んでいたと思われる。そのさらに南側に浅い谷があり、こちらも沢が流れている。街道跡は沢を渡り、笹藪の中を真南に向かう。この辺りは確かカラマツの植林地帯だったような気がする。きれいな水が流れる湿地帯を抜けてさらに南進。この辺りまで道跡があったので95%は正確に辿れたようである。最後は藪がひどくなったので、さらに南進してできるだけ高くて樹間から明るい光が射し込む方向に向かった。アブの大群の攻撃がピークを迎えた。すさまじい数。クマイザサの藪歩きが長いのでだんだん足に疲労が溜まってきたが、幸い痙攣する前に鶏頂開拓の西端に出た。
09時28分 鶏頂開拓に入る(標高約1,230m)。 場所は狸原山東方のなだらかな丘陵である。少し金網に沿って北に向かい鍵のかかっていない扉から中に入った。アブは縄張りがあって、鳥に狙われやすい開けた空間にはあまり出てこない。やっとアブの大群から解放された。
鶏頂開拓では路地物として大根やイチゴ、ハウスではホウレンソウなどが主に栽培されている。適当に畑を歩いて舗装道路に出て少し南に移動し、T字路を東に向かい、鶏頂開拓を南北に貫く通りに出た。藤原町文化財である法華題目塔道標(ほっけだいもくとうみちしるべ)の説明文には、ここが会津道と塩原道の分岐点であると書かれている。五十里道と赤川道の分岐点ということか。そのまま道路を北進し、鬼怒川カントリークラブに進入。間違ってカートの道に入り込んだので、客がいないタイミングでゴルフ場を北に貫き二方鳥屋山方面に向かう林道に入った。
途中で道は二手に分かれる。左手が二方鳥屋山の頂上北側に回り込む作業道。右手が地図に掲載されている地蔵曽根沿いの道である。地蔵曽根沿いの林道が三依と高原新田を結ぶ高原道の名残であろうと考えていた。新大塩沢峠から二方鳥屋山を目指した時、高原道の道跡が途中で消えた。よって、高原道が林道に抜ける場所を確かめるのが今回の目的の1つでもある。林道のゲートは開いているが現役の区間は途中まで。その後は草茫々。シカの足跡があるだけ。この辺りのヒノキの植林時に用いられた時に使用されたものであろう。倒木を跨いでしばらく進んだところで道は消えた。よく探せば上に向かう続きを見出せたかもしれない。ここから尾根に上がる。場所は1,164mポイントである。この後の行程は一度歩いて見覚えがあり、迷うことは無い。高原道は五十里道に較べると荒廃している。こちらもクマイザサの藪だが、朝に較べて湿度が下がったせいかアブの数はだいぶ少なくなった。
11時05分 高原道・地蔵峠到着(標高約1,130m)。 高原道は地蔵山の西を巻いていくが、ここは地蔵山に登って北進したほうが歩き易い。地蔵山の南端はブナ・ミズナラの広葉樹林、中央部がカラマツの植林地帯で、林床はミヤコザサである。スズタケの生えるやや急な斜面では道が何度か折れ曲がる。約100m下って元大塩沢峠にでる。元大塩沢峠から先の道跡は無い。前回も不思議に思ったのだが、おそらくここで一旦、沢を東に下り再び新大塩沢峠方面に登り返していたのではないだろうか。今回は探索はあきらめ、1,110mピーク東側のヒノキ植林の斜面を横切って元湯林道終点・新大塩沢峠へ抜けた。
11時47分 元湯林道終点(新大塩沢峠、標高約1,050m)到達。 セミの鳴声が聞えない静かな峠だった。10分ほど昼食休憩して、いよいよ危険な臭いのする大塩沢林道に入った。ここを下れない場合、日没までに車に帰りつくことは不可能ではないにせよ、とんでもない大回りと藪歩きを強いられることになる。おそらく帰りつく前に土砂降りに見舞われるであろう。
林道の荒廃ぶりはすさまじい。きれいな形で残っている場所はほとんど無い。特に崖崩れの進行が著しい。誰が辿るのか細い踏み跡があるだけ。下り始めは沢底よりだいぶ高い急な斜面についているので、崩落している場所は少々怖い。先が思いやられる。元塩沢峠から下る急な谷に近づくと道が消える。道が谷を渡って斜面の出入りに沿って徐々に高度を下げるはずと思い込んでいたので、地図を見ずに道が崩落していると思い込んだ。細い踏み跡が谷に向かう。でも道が崩落した様子はない。谷の先にも道跡はない。元々道はなかったように見える。ここでやっと地図を取り出す。ムムッ。ヘアピンカーブになっているではないか。地形図の林道の法面側が延々と崖マークになっていて等高線が記されていない。いつもなら冷静に判断できたはずだが、アブが気になって地図を眺める余裕がないし思考も働かない。ミヤマイラクサの棘の痛さにわめきながら谷を下る。谷底にはドラム缶が転がっていたので、谷底に沿った道が崩壊したようにも思える。訳がわからん。実は道が消えた場所がヘピンカーブだったようだ。そこで谷側後方を見れば道の続きがあったに違いない。橋が見えた時は正直ほっとした。
12時30分 きよみ橋で大塩沢林道に復帰(標高約880m)。 大塩沢の沢底に近づいたので安心感がある。大塩沢の奥部は概ね砂礫状の沢で渓流釣りには不向き。滝やゴルジュっぽい場所もあるがお魚さんがいるのかどうかは不明。林道は幅広でゆったりと沢に沿って下っていく。獣道らしい踏み跡が続く。崖崩れで消滅した長い区間を抜けると大塩沢に架かる橋に至る。沢に降り、服洗いと熱冷ましを兼ねて清い流れに体を浸した。とても冷たくて全身は浸かれない。帽子で水をすくって頭からかぶる。全身びしょ濡れでも爽快な気分。国道121号に抜けるころにはだいぶ乾いているであろう。
13時07分 奥大塩橋で左岸から右岸に渡る(標高約780m)。 踏み跡が新しい。ウェーダーの靴跡らしきものがあるので、この辺りまでは釣り客が入り込むらしい。スギの植林が見えるようになった。まだ林道の現役区間には至らないが荒れ具合は上流ほどではない。ここでもシカとはちあわせ。沢音でこちらに気づかなかったらしい。クマでなくて幸い。
林道現役区間の終点には喜連川町ナンバーのミニバイク有り。釣り客のものであろう。少し下った場所に大きな堰堤のプールがきれいな水を湛えている。小塩沢ではなにやら大掛かりな土木工事中。林道谷側の藪中にコンクリート製のしっかりした造りの廃小屋が二つ有る。鳥かごがあったので、小鳥の密猟目的で使用されていたのかもしれない。
14時21分 国道121号・大塩沢橋(標高約600m)到達。 やっとアブから解放され、会津西街道の変遷の原因となった葛老山を五十里湖越しに眺めて癒された。
14時45分 車に帰着・歩行終了。
時折、福島県境方面からゴロッという雷鳴が聞えてくる。良いタイミングで帰りつくことができた。この日、高原山、塩谷町、矢板市南部、さくら市の上空に雷雲が居座り、大雨洪水警報が発令されるほどの激しい落雷と豪雨が夕方から夜半まで続いた。
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