白倉山・三依山縦走 (2003年11月)
年月日: 2003.11.08
目的: 白倉山・三依山登山及び尾頭峠探索
出発点: 尾頭トンネル塩原口(標高約810m)
到達最高地点: 白倉山(標高1,460m)
到達最高地点: 三依山(標高1,305.1m)
天気: 晴れ後曇り
出発時刻: 07:45
到着時刻: 14:50
総所要時間: 7時間5分
遭遇した動物: シカ4頭
尾頭峠

峠の上三依側に2つの碑がある。

手前の碑には「歩兵第五十九聯隊建之」、「聯隊長李王垠殿下御通過紀念」とある。昭和12年に330名以上の歩兵と軍馬がここを雪中行軍したのだ。大韓帝国皇太子の垠(ウン)は明治40年に11歳で日本に留学し、戦前は皇族の一員として高い地位を与えられ垠殿下と呼ばれた。昭和10(1935)年、垠殿下は宇都宮第14師団歩兵第59聯隊長として赴任している。昭和38年に朴正煕大統領の厚意により韓国に帰国した。

奥側の碑には尾頭観世音?(それとも馬頭観世音?。達筆で読めません。)と刻まれている。、明治二十年に建立されたもの。

峠の向こう側(塩原側)には土を盛った塚のようなものがある。

三依山に向かう途中の尾根の雰囲気

写真は大塩沢の源頭付近。左(塩原側)は急斜面、右(上三依側)は勾配30°程度の斜面。尾根はブナ・ミズナラとミヤコザサに覆われている。

尾根の幅が広がるところもあるが、三依山に至るまでずっとこのような植生が続く。南側が開けているので白倉山に向かう尾根より明るい雰囲気である。

北東側からの三依山の眺め

500mくらい手前でようやく三依山が見えてくる。

山頂まで危険な場所は無い。山頂からは落葉した樹木を透かして南東側に高原山が見える。

白倉山の存在は4年前に塩那道路を塩原側から歩いた時に初めて意識した。塩原町と藤原町を隔てる高い壁のような南北に長細い山地で、尾根上は穏かな感じだがどこもかしこも急斜面で取り付きにくそうである。塩原町と藤原町は今でこそトンネルで結ばれて車の往来が容易であるが、かつて人々はいかにして往来していたのだろうか。探索しようとは思っていたのだが、地図上では取り付くのに良さそうな場所が見つからず、登るのは後回しにしていた。しかし、11月の1日と2日に相次いで山頂に到達した2名の方達の情報で取り付く場所が特定できたので、自分もさっそく出かけてみることにした。私の持っているハイキング用地図には白倉山の南に「尾頭峠」と記載されている。しかし、国土地理院の地図には峠の名前も旧道も記載されていない。場所的に昔は峠道があったとしても不思議ではないので、白倉山登山の帰りに尾頭峠を探索しようと考えた。さらに尾根を南西方向に縦走すれば三依山も射程圏のようである。三依山の予備知識は皆無だが、せっかく尾根まで上がったのであればどんな所か見てみたい。尾頭峠に行ってみて、その先の藪の様子と余力を見て三依山に行くかどうかを決めるつもりであった。

いつものように矢板那須線を北上し、関谷で国道400号に入り塩原温泉に向かった。時間と体力温存のため主尾根への登りには東京電力の送電線巡視路を利用することとし、トンネル入り口左の「尾頭トンネル電気室」と書かれた施設の前の駐車場に車を停めた。

7時45分 歩行開始。 国道を反対側に渡り、柵を越えて巡視路を辿る。体がまだ準備できていないので、歩き始めてすぐに息があがる。朝から気温が高く、無風なのですぐに汗が噴き出る。何度も立ち止まりながら細い巡視路をゆっくり登っていった。地図を見て解ってはいたが、実に勾配のきつい斜面だ。巡視路利用でこの有様だから、私には直登は無理かも。

8時30分 21号鉄塔(標高1,050m)到着。 視界が開け谷全体が良く見える。出発地点からまだ210mくらいしか登ってないのにバテている。まだまだ主尾根は遠い。

8時45分 20号鉄塔と22号鉄塔の巡視路分岐到着。 22号鉄塔は主尾根の上にあるので左に行けば巡視路を辿って主尾根に出られる。ただし、一つピークを越えていかなければならないのが欠点。20号鉄塔は北側の支尾根にあるから右に行けば主尾根には出られない。主尾根には出るには途中で巡視路からはずれて道無き斜面を登ることになる。少し迷ったが赤布(たぶん山部さんが付けたもの)がついている右側を選択。すぐに巡視路から上方に向かって点々と赤布がついている場所があり、ここから主尾根に向かって直登する。勾配はきつくなく、主尾根まではそんなに時間がかからなかった。

登りつめた場所は広い鞍部で、カラマツの植林地帯で林床はミヤコザサである。林道も無く、アプローチしにくい場所にカラマツが植林されているのが不思議だ。ここからは緩い登りなので歩くペースが速くなる。シカが2頭走り去った。標高約1,290mに広い平坦地があり、ここに「頂上まで1時間」と書かれた、山部さんが6日前に掛けた標識があった。いよいよ丈1.5〜2m程度のチシマザサが稜線部に現れ、藪漕ぎらしくなる。藪とはいっても、移動がほとんど不可能なチシマザサの密生地に較べれば優しい感じで、強引に掻き分けて進む。稜線から少し西側にはずれた場所にシカ道が走っているので、これをうまくつなぎ合わせて移動すれば体力の消耗も抑えられる。

地図で見た尾根の形状は単調だが、実際には意外に広くて起伏がある。笹藪の丈は視界を遮るほどではなく、ブナも落葉していて明るく、ブナと笹藪に覆われた広くなだらかな尾根をずっと先まで見渡すことができる。もし、盛夏の頃に来たらどんな感じだろうか。尾根の中心部が凹んだ場所が何箇所もあり、広いところでは沼のようになっている所もある。このような場所は決まってシカの通り道になっている。自然の浸食でこのような地形が形成されるとは考えにくい。気の遠くなるような長い年月に渡る動物の活動が寄与しているのであろう。

9時50分 白倉山山頂(標高1,460m)到着。 主尾根に出てからはペースが速く、休憩無しで頂上まで来てしまった。尾根の西側から風が吹きつけて快適だったことも一因であろう。三角点の周囲はチシマザサにびっしり覆われ眺望はゼロ。先週掛けられたばかりの山部さんの山名板があった。チシマザサの向こう側からシカの警戒音が聞こえてくる。この尾根の最高点はもっと先にあるようだが、この後の予定を考えて行かなかった。少し頂上で休もうと思ったのに、お約束の小さな虫がたくさんまとわりついてうるさいので、水分補給だけして下山。頂上からの眺望は良くないが、戻る途中、落葉した林を透かして山頂方向以外を全て見渡せる場所がある。

10時45分 鞍部(標高1,460m)到着。 取って返す勢いでそのまま南の1,236mピークへ登る。ミヤコザサの藪を下って22号鉄塔に到着。巡視路は22号鉄塔で終わりではなくて尾頭峠に向かって延びている。

11時08分 尾頭峠(標高約1,150m)到着。 まさに期待したとおりの場所(写真1)。かつて峠道であったことを示す遺物が2つあった。やはり昔は人々がここを往来していたのだ。嬉しくなってしばし碑文を読んだりして時間を費やす。さて、これからどうしたものか。天気が崩れる様子はまだない。ここから南の尾根の笹藪は標高的にはミヤコザサ主体であると期待できるので、三依山に到達できる可能性は充分にある。幸いなことに、23号鉄塔に至る巡視路が南に延びているようなので、これに沿って歩いてみることにした。

巡視路は南の1,225mピークの東側を巻くようにして高度を上げ、尾根沿いに南南西に伸びている。塩原側の巡視路に較べて広くて整備されており登り下りも少ないので快適に進める。1,270mピークの手前で道が左右に別れ、右側は北側の尾根に、左側は南東の尾根に向かう。ここは右側の道を選択し、北側の尾根の稜線に出たところで西南西方向の三依山に続く尾根を確認し、昼食とした。

三依山は手前の尾根が邪魔で見えないが、地図を見ると三依山まであと1.5kmしかない。多少藪があっても体力は充分持つであろう。尾根は単純で迷う心配もなさそう。

12時00分 巡視路から三依山へ至る藪尾根に進入。 少し戻る形で1,270mピークに登り、西南西に伸びる尾根に下る。1,270mピークには三角点ではないが、主図根がある。この近くでもシカを2頭みかけた。1,270mピークから次のピークに至るまでがチシマザサの藪であるが、さほど歩行の支障にはならない。そこから先は左直下に大塩沢の源頭にあたる急斜面、南東方向に高原山を見ながら、ミヤコザサに覆われた尾根を快調に進める。尾根を真っ直ぐ進むので三依山は相変わらず見えない。残り500mくらいの地点でようやく見えてくる。

尾根はずっと南西方向に続いているが、三依山は西側に向かう支尾根にポツンと聳えている。1,270mピークからここまではテープや赤紐の類はなかったが、三依山に向かう鞍部にはテープが付いていた。たぶんこの人は南東側から尾根を辿ってきたのであろう。

12時30分 三依山山頂(標高1,305.1m)到着。 樹木に覆われたこんもりとしたピークだが、落葉しているので周囲の様子が良く判る。素朴な山名板が2つ掛っていた。穏かな山容なので、人里離れた場所に来たという不安感はなかった。天気予報通り、午後になって雲ってきたので、滞在15分ほどで引き返す。

13時25分 巡視路に復帰。 振り返ると先ほどまでいたピークがかすんで見えなくなりつつあった。ガスがかかっているのだろうか。塩原全体の空が南のほうから急に霞んできた。逃げるように巡視路を北上する。

13時50分 尾頭峠(標高約1,150m)帰着。 峠の塩原側に出てみると塚のようなものがあった。元尾頭沢左股の源頭を登ってくる道があるのではないかと思っていたが、道は尾根の塩原側斜面をゆっくり南に下っていく。数百m歩いてみたがこの時は最終的に何所に向かうのか見当がつかなかった。尾頭とは関東と東北の境目(関東地方の尻尾と、東北地方の頭がつながっている場所 )を意味しているのだという。沢を登りつめた場所を意味するという説もある。会津西街道の脇道として昔から利用されていたそうで、五十里近辺が通行不能時の代替ルートでもあった。尾頭峠から尾根伝いに巡視路を南に辿り1,270mピーク手前から左に逸れる道跡がその本体(高原道)であり、延々と尾根を辿って元湯方面へ抜ける。尾頭峠から上塩原へ下る道が尾頭道であり、年代別に3つのルートがあった。現存する道形は明治時代の尾頭道である。

元尾頭沢左股を下ろうかと思ったが、下の方が等高線の間隔が狭く嫌な予感がするので、おとなしく巡視路を辿って戻った。

14時30分 歩行終了。 

私にしてはめずらしく期待した通りに歩くことができて満足である。先行した山部さんとノラさんの情報に感謝。一番の収穫は尾頭峠の存在で、いつか旧街道を歩いてみたい。