嶽山箒根神社参拝道を辿る (2003年10月)
年月日: 2003.10.05
目的: 箒根神社参拝道の探索
出発点: 金沢ランド奥(標高約500m)
到達最高地点: 八方湖南南東のピーク(標高約1,060m)
到達最遠地点: 八方湖北北東のピーク(標高1,042m)
天気: 晴れ後曇り
出発時刻: 11:15
到着時刻: 15:20
総所要時間: 4時間5分
遭遇した動物: ノウサギ1羽、リス1匹
八方湖から嶽山箒根神社に向かう旧参拝道入り口の鳥居。学校平から八方湖の北側の未舗装林道を進むと左側に突如現れる。有名な神社でよく見かける鉄筋コンクリート製の大鳥居ではなく、大木を組み合わせて建てられた立派な鳥居である。

社名は朽ち落ちようとしており、鳥居の近くには何の案内もない。旧参拝道は現在の車道ができて使われなくなって久しい。人々に忘れ去られてなお荘厳さを保ち続けている大鳥居を見ると不信心な私でも敬虔な気持ちになる。

1999年版の昭文社のエアリアマップ「山と高原地図:那須・塩原」にはまだこの参拝道が遊歩道として紹介されている。車道が開削される前にここを通って参拝してみたかった。

今回の写真は旧登山道紹介の頁に掲載。

前日10月4日に竿納めをしてこの年のアユ釣りを締めくくった。これできっぱりと那珂川から離れて5日は登山しようと考えていたのだが、前日の寝不足がたたって寝坊してしまった。高原山、男鹿山地、那須連峰は雲一つなく澄み渡っている。この日、朝早く行動した人達はすばらしい山登りを体験できたに違いない。寝坊して時間が無いので遠出はせず、まだ調査が済んでいない嶽山箒根神社の旧参拝道を辿ってみることにした。ここを辿るのは2001年初冬に続いて2度目である。

宇都野から唐滝沢の舗装林道「沼代シダブ線」を進み、途中から右に分岐する舗装道路を登って金沢ランド奥の十字路に車を停めた。

11時15分 歩行開始。 十字路から未舗装林道を50mくらい進んだところで旧参拝道が交差する。入り口は篠竹が繁っていて判りにくいが、左側に立っている昭和45年の杉・檜の植林地であることを示す白い標柱が目印である。この参拝道が金沢ランドの何処から登ってくるのか知らなかったので少し下ってみた。参拝道は十字路から最も近くにある民家の裏で車道に合流している。何年か前までは篠竹が刈られていたようだが、現在は廃道であるような印象を受けた。ここから下は探索してもあまり意味がなさそうなので交差点に戻った。

11時25分 登り開始。 入り口付近は昭和45年植林の杉林が続く。参拝道は抉れていて歴史を感じさせる。歩き始めて10分ほどで、最初の道標が現れる。「三十ニ」と彫られた石柱である。元は「三十二丁」と彫られていたのだろうが、現在は折れて参拝道横に倒れている。一丁が約109mだから標高を示しているのではなさそう。旧金澤村のどこかから約3.5km地点ということか?

20分ほど歩けば再び林道と交差する。ここから先は2年前に辿った道。交差点付近には数は少ないがフシグロセンノウが咲いていた。赤松が主体の林の中を登っていくと、またしても林道と交差する。

12時00分 第二の道標「四五の丁」到着。 林道を横断してすぐに左側に第二の道標が立っている。ここから間もなく、右側の薄暗い場所に石造りの立派な神様が見えてくる。由来はわからないが、今も祀られている神様である。家紋のような模様が彫られている。

神様より上方は参拝道とは思えない雰囲気である。黒土が深く掘りこまれていたり、ガレていたりして決して歩きやすいとはいえない。

12時13分 湯殿山を祀る石像到着。 参拝道は月山の南斜面を巻いて登って行く。ガレた道をうつむき加減で登っていて、山側から仏像らしき石像が見下ろしているのに気づいてはっとする。正面下に「湯殿山」と彫られているが、蓮座に座っているので御神体ではなく仏様である。右横に寛政ニ年と彫られていたので、1790年に建立されたことになる。

12時17分 第3の道標「五十丁」到着。 ようやく参拝道の勾配が緩くなり、暗い植林地帯を抜けて明るくなった辺りに第3の道標がある。ここは月山の山頂の真南にあり、道はないものの境界見出し標に沿って登っていけば山頂に到る。第3の道標からはほとんど勾配がなくなり気持ちよく歩くことができる。唐滝沢から登ってくる車道と出会う少し前に月山山頂へ到る踏み跡がある。

12時28分 車道「沼代シダブ線」との最初の交差。 交差点というより合流すると言ったほうが適切か。案内が無いのでどちらに進めば良いか迷ってしまいそうだが、箒根神社のある山の方角(左側)に進むのが正解。100mほど進むと未舗装の林道が右側に分岐して上に登っていく。これが旧参拝道である。ちなみに車道を歩いて箒根神社を目指すのであれば反対の右側に進む。車道はわざわざ遠回りして左にカーブして再び旧参拝道と交差する。

12時35分 第4の道標「六十六丁」到着。 車道を横切るとすぐに第4の道標がある。横には設置者である「金澤村の江連又左衛門」の名が刻まれている。昔の村の有力者か宮司の名であろう。ここからしばらくは車道を左下に眺めながら並行するように旧参拝道が続く。最近間伐のために重機が入ったらしく歩きやすいが、車道と3度交差する場所は完全に道が消えている。

木イチゴを掻き分けガードレールを跨いで車道に出る。この先は車道建設で削られてしまっていて登ることができない(危険を冒せばよじ登れなくはなさそうだが。)。右に50mも進めば嶽山箒根神社の入り口があるのだが、今回はその手前にある法面のコンクリートを伝って登ってみた。

12時48分 石像群到着。 4体の石像が宇都野方面を見守る場所で最初の休憩をとった。少し飛ばし気味だったかもしれない。10分ほど休んでから100mほど奥にある社殿に向かう。赤い橋を渡り右側の階段を登れば嶽山箒根神社到着である。神社の右から車道に抜けるところに駐車場らしきものを造成中であった。便利になるのは良いことかもしれないが、神秘性が失われてしまうのはさびしいことである。

2年前は八方ヶ原から神社に到る参道が何処にあるのか判らず車道を歩いたのだが、今回は絶対に参道を見つけるつもりであった。地図では八方ヶ原から嶽山箒根神社に到る尾根上にあることになっている。社殿の裏から斜面に取り付き、稜線に沿って登っていった。200〜300mほど進むと右下から踏み跡が登ってきて、あとはこの踏み跡を伝って快適に歩ける。ミズナラなどの広葉樹林を抜けるとカラマツ林となり、檜林に入る手前で右下に下降し車道に出る。ここから50mほどで八方湖に到る。

13時23分 八方湖到着。 なんと八方湖は干上がっていた。野沢源頭に流れ出る水量は水門で調節可能になっているのだが、周りから滲み出した水が全て流れ出てしまっている。これが八方湖の本当の姿なのか?

かつて大正時代に八方ヶ原は枡形山も含めて陸軍の軍馬育成のための放牧場であった。現在の八方牧場はその半分程度にすぎない。八方湖近くで陸軍用地であったことの痕跡を探すのが今回の山歩きにのもう一つの目的であった。第一の候補は八方湖の北北東にある1,042mのピークである。ほぼ平坦な地形で放牧場にうってつけの場所である。ここを目指して、八方湖から学校平に向かう未舗装車道を北に向かった。

しばらく進むと右側に古い木製の鳥居(写真)があった。2年前は八方湖畔を歩いたのでこの存在に気づかなかった。前方には未舗装車道から分岐する怪しい林道がある。1,042mピークに向かっているようだったのでこの林道に進入した。今は使われておらず、たまに営林署の関係者が訪れるだけらしい。一面、鬱蒼とした広葉樹の森と腰ほどの丈のミヤコザサの林床である。一番高そうな場所に行ってみたが三角点らしきものは見つけられなかった。道から離れた場所にある境界見出し標に行ってみると、新しい小さな境界見出し標の横に旧い粗末な石柱が転がっていた。字は刻まれていないが、陸軍用地と関係がある可能性が高い。一応目的は達成したので引き返すことにした。

14時00分 鳥居をくぐり抜ける。 鳥居を見つけので敬意を表して旧参拝道を辿る。左奥に向かって車道跡があるが、旧参拝道は右奥に向かう踏み跡である。野沢を渡ったところから道跡が不鮮明となり、沼代シダブ線と交わる場所では完全に消えている。舗装された車道を歩くとまめができるので、道を横断して往路を逆に辿った。途中、参拝道から外れて右手の1,060mピークを目指してみたが、笹藪が密で、あるかどうか判らない陸軍用地跡を探すのは意味がないような気がしてきた。あっさりとあきらめ、参拝道に復帰。

何故旧参拝道の出口が嶽山箒根神社の近くに見つからないのかずっと不思議に思っていたのだが、この疑問がようやく解けた。参拝道は車道建設で削られた場所ですっぱり切れて無くなっている。造成中の駐車場のすぐ近くである。社殿の裏から下に降り、再び旧参拝道を辿って月山へ向かった。月山へ到る踏み跡をほんの少し進むと、月山の北と東の斜面を無残に傷つけるモトクロスコースに飛び出る。2年前にはこんなものはなかった。いくら私有地とはいえモトクロスコースを建設するなんて理解しがたい行為である。

14時30分 月山山頂(標高874.8m)到着。 三角点付近に山部藪人氏が設置したプレートがあったのですぐに判った。なんだか下のほうでがやがやと人声がするので、道から外れて真っ直ぐ林の中を南下して、第3の道標「五十丁」に抜け出た。

15時20分 歩行終了。 

八方湖から嶽山箒根神社までの参拝道は完全に廃道であった。道跡も消え行く運命にある。一方、金沢ランドから嶽山箒根神社までの参拝道は、途中の神様を祀る人や林業関係者が使用しており、今後も部分的にその姿を維持していくであろう。薄暗く、人の気配も無く、月山を抜けるまでは眺めも良くないが、歴史を感じさせる遺物が残されているので結構楽しめる道である。危ない場所は無いので、高原山の歴史に興味のある方にはお薦めである。