| 2002年の紅葉は残念ながら2001年に較べるとはるかに見劣りがした。色づきが悪いまま葉っぱが枯れて縮まっている。美しいと思える光景になかなか出会えないままついに狩猟期間に入ってしまった。あいにくこの日も曇りだったが、週末毎に天候が崩れるパターンが続く中ではましなほうである。標高1,000m付近は11月上旬が見ごろだが、低山帯ならば11月中旬からが見ごろとなるので、この年最後の紅葉狩りのつもりで上伊佐野地区に出かけた。目的は前年に果たせなかった旧登山道の探索である。写真はこちら。 矢板市内から塩原に向かって進み、上伊佐野のコンビニの前で左折して木ノ芽沢沿いに田園地帯を進むと、八方ヶ原の延長尾根の麓沿いに走る市道にぶつかる。市道を一旦右折してすぐに左に木ノ芽沢林道の入り口がある。入り口にはゲートが2つあり、右側のゲートの先が木ノ芽沢林道、左側のゲートの先は名前を知らない林道が続き、その間に神社がある。車では進入できないし、ゲート前は駐車禁止である。しかたがないので市道を少し戻って、山縣有朋記念館の駐車場に車を置かせてもらうことにした。午後4時までは開館しているのでそれまでに戻ってくれば問題ない。林道入り口まで歩く途中、山縣有朋記念館が周囲の紅葉に調和してとても美しく見えた。
旧登山道は木ノ芽沢林道を400m程度進んだところに入り口があることになっている。それらしい道があるのだが、最初は鬱蒼とした植林地帯を沢奥に延びており、旧登山道ではないような気がして戻ってしまった。それらしい痕跡を探して林道を何度か往復するうちに時間を食ってしまったので、正規の入り口から進入するのをあきらめた。尾根の先端に位置する神社の裏にも登る道はない。しかたがないので左側ゲートの奥の林道を歩いて山の上に行くことにした。道はカーブしているところが部分的にコンクリート舗装されている他は未舗装である。秋に整備し直したばかりらしく、荒れているところは全くない。きれいに手入れされた杉・檜の植林地帯を縫うように急勾配で登っていく。道の周囲はほぼ全てが植林地帯で、広葉樹林の紅葉は望むべくもない。しかし、林業関係者が切らずに残したカエデの木が所々鮮やかな紅葉を見せる。手入れされて明るい植林地帯では、下生えの落葉低木が一面木漏れ日に黄金色に輝いている。写真ではなかなか表現できない美しさである。
林道は一旦伐採・植林が進行中の平坦地に出て、金精川の谷寄りに再び急登する。林道が右側にカーブするところで左側の斜面下に金精川の流れが見える。尚仁沢の様に湧水にその源を持つが故に水量が豊富である。そこから何度かの折れ曲がりを過ぎると終点の防衛庁の電波中継塔に至る。大規模な植林とその樹齢から考えて林道は昔から存在していたようだが、林道の整備はこの電波中継塔の保守が主な目的のようだ。電波中継施設は厳重に囲われていて、内側には監視カメラが何台も設置されている。
結局ここまで旧登山道らしきものは見当たらなかったが、尾根の稜線に沿っているとすれば絶対に近くにあるはずである。電波中継施設の右側に踏み跡があるが、その上の植林地帯に入ると再び道が判らなくなる。笹が生えているが藪というほどではない。植林地の境界に沿って数十m登れば平坦な場所に至り、前方に鬱蒼とした杉の植林地帯が現れる。手前のアカマツ林との境界には大規模な土塁がある。これも陸軍に関連するものではないかと思い周囲を見渡すと、土塁手前の笹に埋もれるようにして、頂に赤いペンキが塗られた陸軍用地の標識があった。以前誰かが調査したことがあるのだろうか、立て札が近くに倒れていたが、既に朽ちて何も読み取れなかった。
杉林の中に入り込むと見通しが悪いので、土塁に沿って右に進むと、土塁は次第にカーブして尾根の奥に続いている。右側(土塁の外側)は木ノ芽沢側の広葉樹の生える斜面で、内側は植林地帯である。途中から土塁の内側に入り込んでみた。植林のさらに奥はかつて人の手が加えられたと思われるが、現在は放置されて雑然とした林である。登山道を探して林を彷徨ううちに、小高い場所の杉の木の下に、大きく「山神」と彫られた石板が現れた。周りには踏み跡がなく、最近祀られた跡もない。保存状態が良いので古いものとは思わなかったが、裏に刻まれた文字をなぞると、矢板薪炭合資会社が明治三十九年に建立したものであった。本当に初めからここに設置されていたものなのだろうか。だとすれば、当時ここまで大きな石板を運び上げるのは重労働だったはずだ。当時は炭焼きが大きな産業であったのだろう。現在は東日本で炭焼きを生業にする人は皆無だろう。備長炭のように商品価値が高くなければ炭焼きで生計は立てられない。戦時中は磐梯山の麓で焼いた炭を運び出して苦しい家計を支えたという話をよく父親から聞かされた。戦後、炭焼きは急速に衰えていったが、私の子供のころは炭焼きに使用した山道がまだあちこちに残存していた。これは日本全国どこでも同じ状況であったろう。この尾根に残されている道も登山道というよりは炭焼きの道なのかもしれない。
さて、意外な物を見つけて少し満足したので帰ろうとしたら、杉林と放置林の間にかすかな道跡を発見した。途中で消えてしまうのだが行き先は明らかに尾根の奥に向かっている。尾根は次第に細くなり、左側(金精川側)の斜面は急勾配となる。斜面には檜が植林されており、林の中には直射日光が差し込まず暗い。このような環境では下生えが全く育たないので、旧登山道がきれいに残されていた。今も毎日人が通っているかのようである。檜林を抜けると延々とカラマツの植林地帯が続く。昭和40年頃の植林であることを示す標識があった。昭和40年といえばまだ日本で石炭が大きな産業だった時代で、坑木としてカラマツの需要が多かった。福島のデコ平(グランデコスキー場のある所)もかつてのブナの原生林を伐採して大規模なカラマツの植林が行われた。日本全国で同じことが行われただろう。今となっては利用価値がほとんどない。世の変遷を見誤ったということか。日本の林野行政の代表的な失敗例である。おそらく半永久的に放置されることになるのだろう。いったんカラマツ林にしてしまったところを無理やり元に戻す必要はないと思う。カラマツ林はそれなりに新緑も黄葉も美しいものだし、常緑樹の植林に較べれば動植物相が豊かだからである。
既にカラマツは落葉して林の見通しは良い。左側に金精川の源流部の浅い谷を眺めることができる。対面は昨年12月に狩猟犬を避けて下った尾根である。カラマツ林は明るいのでミヤコ笹が良く繁茂しており、再び道が判らなくなる。このような場所はシカの楽園になっている場合が多い。何箇所かシカの寝床らしい跡がある。昨年狩猟者が居たのも納得がいく。この日は幸い狩猟者は入り込んでいなかった。旧登山道の出口があると思われる送電線の鉄塔まで行くつもりであったが、気温が低く体が冷え切っていたし、冷たい雨がパラパラと降り出したので引き返すことにした。
上りはあまり苦にならなかったが、林道の下りは非常にきつい。山道と違って整備された道ではつま先に負荷がかかりすぎる。広い林道をジグザグに歩いて脚への負荷を軽くして降りた。それでもこの下りは肉体的にかなりきついもので、翌日の筋肉痛は普段経験したことのない尻に集中していた。
最後までは踏破しなかったが、簡単に歩ける、危険の少ないルートであることが確認できた。しかし、下塩原矢板線(県道56号)ができた今日ではここを通る利点は全くない。ほぼ全て植林地帯を歩くことになるし、景色の良いところも無いので、道が廃れたのは当然である。将来復活することはないであろう。
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