| 誰かと一緒に山に登ったというのは過去に数回しかなく、ほぼ常に単独行動なのだが、一度は自分の子供と故郷の磐梯山に登ってみたいと思っていた。上の娘が小学校4年生で体力的に磐梯山登山可能だし、誘っておとなしくついてくるのも今のうちかなと思い、秋の連休に帰省したついでに父も誘って親子孫3代揃って登ってみた。小さい頃から父にくっついて山菜採りをして山歩きを覚えたのだが、父と磐梯山に登るのはこのときが初めてであった。 たいていの山では、五合目あたりまでは景色も良く無いし単調な登り道でつまらない。磐梯山も例外ではない。私にとって山麓は釣りや山菜採りを目的とする場所であって、登山目的では無用な場所だ。登山愛好家は邪道というかもしれないが、普通の人ならこんなところはすっとばして手軽に山に登ろうと考える。山は楽しむものであって試練の場ではない。このときは赤埴林道の終点まで車で登り、沼の平
- 弘法清水を経由して頂上を目指すことにした。川桁から行くのならば、近くて、楽で、すいていて、景色も良くそのうえ道路料金も払わなくて済む赤埴林道ルートが最も良いのである。赤埴林道は猪苗代スキー場のロッジ裏から赤埴山南斜面をジグザグに走り、渋谷に面した沼の平直下が終点となる未舗装道路である。
猪苗代湖から見ると表磐梯につけられた無残な傷跡が幾つか見える。スキー場が3つ(古い順に猪苗代スキー場、猪苗代リゾートスキー場、アルツ磐梯スキー場)と赤埴林道である。赤埴林道は確か1960年代に植林目的に作られたと思うが、子供心ながらに傷つけられていく山肌を見て悲しくなったものである。しかし大人になってから自分が楽をするために利用しているのだから自分も結構いい加減なものだ。猪苗代スキー場の滑降コースは1970年代の国体開催時に設けられたものだが、猪苗代リゾートスキー場とアルツ磐梯スキー場は1980年代に作られた。裏磐梯の猫魔スキー場やデコ平のグランデコスキー場も1980年代後半に作られたものだ。1980年代はバブル絶頂期で、リゾート法の成立もあって、金に目の眩んだ連中が利権をむさぼって国立公園をズタズタにしてしまった。悲しいかな、スキー場が建設される場所は一般に最も自然が豊かな場所と一致するのである。これらのスキー場のある場所はいずれも私が若いときに山歩きや山菜採りを楽しんだ場所なのである。冬にスキーを楽しむ人達は白銀の世界しか知らない。スキー場が自然破壊そのものであって、自分達が自然破壊に加担していると考えたことがあるだろうか(ないよね)。私はスキー場建設に恨みに近い感情を抱いているため、スキーをしないことにしている。
赤埴林道終点には既に数台の車が停まっていた。途中、結構凹凸の激しい所もあるのだが普通乗用車も来ていた。ここから10分も登れば沼の平に着く。まだ朝早いというのに大磐梯の山頂に既にたくさんの登山客がいるのが見えた。猪苗代スキー場からの登山道と合流して沼の平を北に進み、明治の爆裂火口の縁に出てから、弘法清水小屋に至った。我々が通ってきた登山道は人がまばらだが、弘法清水小屋前は大勢の登山客がいた。ほとんどがお手軽なゴールドラインの峠から登ってきた中高年の登山客である。腰が曲がったお婆さんもいたのには驚いた。本当に昨今の中高年の登山ブームはすごい。私が最後に磐梯山に登ったのは1980年頃だったが、そのころはほとんど登山客はいなかった。日本100名山とか花の100名山などの著書の影響が大きいのだろうが、なにより高度成長期を支えた中高年が裕福になり余暇を手にしたということだろう。
弘法清水小屋から大磐梯の山頂までは登りも下りも人の列ができていた。普段、誰もいない山ばかり歩いているので、挨拶するのもいい加減疲れる。山頂にも休む場所も無いくらい大勢の人が居た。ゴールドラインからは相変わらず大勢の登山客が登ってくる。反面、もう一本の頂上に至るルートである翁島口登山道には人がいない。家族連れが一組登ってくるだけだった。これだけたくさんの人が入山するのだから、し尿もかなりの量になるだろう。弘法清水なんて飲まないほうが賢明というものだ。磐梯山の360°の眺望は素晴らしいのだが、帰り道の混雑を考えると憂鬱で眺望を楽しむ気になれなかった。まだ午前中なので父と私は腹が減っていない。娘だけおにぎりを食べさせてから下ることにした。
下りも同じ道を辿る。弘法清水小屋を過ぎると人数が極端に少なくなりほっとする。爆裂火口壁に至る途中に比較的急な岩場がある。ここで、娘が登ってくる人を避けようとして滑って、前のめりに一回転して落ちた。怪我も無く泣いただけで済んだのが幸いだった。子供にとっては危険な場所もあるのだということを再認識させられた。爆裂火口壁から沼の平を見下ろしながら昼食をとり、噴気孔を左から巻いて登山道に戻り、車まで戻った。
磐梯山は手軽に登れて且つ眺めが良い100名山の一つということで、中高年の登山客に占領されてしまった感がある。山そのものは変わっていないのだが、人の多さに辟易してもう登る気になれない。父と登るのもこれが最初で最後となるであろう。
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