| 秋の連休に田舎(福島県猪苗代町川桁)に帰った。天気が良いので、子供のころから考えていた観音寺川南尾根の縦走を思い立った。父親の話ではキノコの状態はあまりよろしくないようで、アカンボ(クリタケの方言)はまだ採っていないとのことだったが、それなら俺がどっさり採ってやろうと意気込んで、独り山に向かった。 川桁山地は東北地方の脊梁山脈の一部で、猪苗代町と郡山市の間にある。猪苗代町側は、地質学者には広く知られた川桁断層面が浸食してできた谷や扇状地が幾つも並んでいる。猪苗代湖の東岸もまた川桁断層の一部である。最高峰は川桁山(標高1413m)で、近くの天狗角力取(てんぐのすもうとり)山、大滝山と共に川桁山地の最深部を形成する。川桁山は会津若松方面から猪苗代方面に向かうとき正面に見える一番高い山である。旧い炭焼きの道跡が幾つか残っているし、麓に山の神も祀られてはいるが、本格的な山岳信仰の対象にはならなかった。このため、登山道が整備されたのはそんなに昔のことではないし、今でも訪れるのは一部の登山マニアに限られる。川桁山奥を源流とする観音寺川は典型的なヤブ沢で遡行不可能であるが故に、幾つもの砂防堰堤で生息域がズタズタにされたにも関わらず、天然イワナが絶滅から免れている。観音寺川右岸には川桁山を背景にリゾートホテル(リステル)の巨大な白いウイングタワーが目を引く。1970年代初めまでリンゴ畑だった場所はホテルに、1980年代まで扇状地に広がっていた牧草地はホテルのスキー場となった。カラマツ林だけが昔の面影を残している。
目指す場所は観音寺川左岸(南側)の尾根である。観音寺川や川桁山は子供のころからのホームグラウンドであるが、尾根伝いに縦走をしたことはなかった。観音寺林道を進み、最も古い砂防堰堤の上で右側に逸れる道がある。ここをしばらく進んだ行き止まりにに車を止め、涸れ沢を跨いで山肌に取り付いた。川桁山地は深成岩の浸食された山なので脆く勾配が急である。草でも細い小枝でも生きている植物ならなんでも構わない。手でつかんで支えないと登れない。久しぶりなので妙に楽しい。直登すること20分程度で尾根に出た。この辺りは最近は人の手が入ったことがないらしく、ほぼ原生林の様相である。細い尾根の上に点々とアカンボの群生を発見し、しばしキノコ採りに夢中になった。一通り採り終えてから尾根伝いに進んだ。
しばらく登ると、右手下方に木々の間から猪苗代湖や幸野集落が見えた。本来自分の進もうとしている方向からは見えるはずがない。このことで途中で道を誤ったことに気付いた。この尾根は一本調子ではなく、何度か起伏を繰り返すパターンだったので、まだ落葉していないこの時期は見通しが悪くて本来のルートを見落としたのである。一旦途中まで下って目標とする尾根に進んだ。尾根は想像した通り、非常に幅が狭い。樹木の根によってかろうじて浸食から守られている。基本的な植生はミズナラやブナ、さらに上に行けばダケカンバが主体となるが樹種は多い。下生えはクマザサで、奥に行くにつれて徐々にネマガリタケ(チシマザサ)に変わる。稜線には所々、正式な名前を把握していないのだが小さな丸い葉を持つ常緑低木が鎮座ましまして、長い枝を尾根の両側に伸ばし、歩きにくいことこの上ない。跨いだりもぐったりして進んだ。ネマガリタケの密生度も上がってきて掻き分けるのに苦労する。予想した通り、腕の力を要するタフな尾根である。子供の頃から父親の後を追って背丈より高い笹薮を漕いでいるので、慣れてはいるがウンザリする。何箇所か境界見出標があったが、全て何物かにガリガリかじられた跡があった。クマか?それともカモシカの仕業か?
尾根の最深部は天狗角力取山から南に延びる尾根に接続する。この尾根は川桁からは、観音寺川が流れる谷の奥に立つ屏風のように見える。尾根は完全な原生林で、訪れる者は初夏のネマガリダケ採取を目的とする地元のベテランのみだ。日本海側と太平洋側の分水嶺になっていて、尾根の向こうは郡山市である。この時、郡山側では大規模な伐採・植林が進行中であった。
さらに天狗角力取山を目指して尾根を登った。上方の稜線にネマガリタケが密生しているのが遠目からも判った。だんだん密度が濃くなりびっしり交差して1m進むのも難儀するようになった。稜線を逸れて斜面を這えばネマガリダケを避けることができるが、勾配が急で生木につかまりながら山肌を這うのも結構つらい。これでは体力がもたないので、天狗角力取山行きをあきらめ下りる場所を探すことにした。もっと先まで行って勾配の緩いところから下りるつもりだったのだが、この辺りは勾配が急で、ルートの選択を誤ると命取りだ。慎重に見定めて、下るべき小さな尾根を特定した。後で父親と話して判ったのだが、この尾根はネマガリタケ採りのベテランが使うルートらしい。半分ほど下りたところで右側になだらかで気持ちの良い斜面が現れた。川桁山地では尾根の根元が断崖のようになっていることが多いので、ここからは沢伝いに下ろうと考え、林の中で一休みした。
タバコをふかしていると、尾根の下からガサッ、バキッという音が響いてきた。キノコ採りに来るような場所ではない。急峻で餌もろくにない時期なので熊でもなさそうだ。では一体何か?尾根すじを振り向いて注視していると、立派なカモシカが現れた。奴もこちらに気付き静止している。口笛を吹いたり、声をかけたりしたが、別に驚く様子はなかった。堂々としたものである。そのうち、頭を2、3回振って、悠然と尾根を登っていった。たまたま尾根から逸れて休んでいたためにできた幸運な出会いであった。落ち葉の舞い散るなかで秋の優しい日差しを浴びたカモシカの容姿を鮮明に記憶している。
沢は滑り易かったが、幸い落差の大きい滝はなく、ケガすることもなく観音寺林道に辿り着いた。ほぼ予想通り、小さい砂防堰堤がある場所で、下るルートの選択は正解だった。地形を熟知しているから良いが、見知らぬ山地ではこんなことは怖くてできない。この2年後、私の両親がここを訪れた際、斜面にカモシカが座ってじっとこちらを見ていたという。この一帯はあのカモシカの縄張りなのであろう。
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