高原山(剣ヶ峰)登山(1998年12月)
年月日: 1998.12.30
目的: 高原山登山
出発点: 県民の森・少年自然の家(標高620m)
到達最高地点: 剣ヶ峰の標高1,520m付近
到達最遠地点:  
天気: 晴れ 
出発時刻:  
到着時刻:  
総所要時間: 約6時間 
その他:  
例年ならば晦日には家族を連れて帰省するのだが、理由は忘れたがこの年は大晦日に帰ることになった。既に冬休みに入っているので暇がある。体がなまっているし、天気も良いし、暖冬で積雪も無いので高原山に登ってみることにした。まだこのころは高原山のことを良く知らなかったので、県民の森の遊歩道を適当に辿っていけば登れるだろうと見込んで出かけた。

少年自然の家の前に車を止め、近くの遊歩道を登り始めた。単調だが良く整備された遊歩道をしばらく登ると車道に出る。少年自然の家から下塩原矢板線に抜ける舗装道路がある。この道路からミツモチ山に至る未舗装林道が延びており、一般車両は途中のゲートから先には行けない。最初の展望台はこのゲート前にある。林道と別れてさらに遊歩道を進んだ。この周辺は5月にはヤマツツジやレンゲツツジの花で美しいところであろうと想像しながら歩く。再び林道に出て第二の展望台に着いた。ここから先は延々と林道を歩くこととなる。林道はなだらかな広い尾根を走る。植生はブナなどの落葉広葉樹にカラマツが混じる。下生えはミヤコザサである。年の暮れなのでもちろん木々の葉は無く、とても見通しが良い。道は良く整備されており快適に進める。誰もいない。

林道を1.5kmほど進むと、次第に勾配が急になって、林道は九十九折となる。登山道は林道を串刺しにするように真っ直ぐについているので登山道を歩いていった。途中で、県民の森から登ってくる別の登山道と合流する。車道と交差する時の段差が疲れをあおる。ミツモチ山の休憩所には立ち寄らなかったが、人の声がしたような気がした。この寒い時期でも大間々方面からハイキングに来る人がいるようだ。そのまま遊歩道・青空コースを1kmほど進むと、大昔この山中に寺があったことが紹介されていた。この時初めて高原山が山岳仏教の地だったことを知った。さらに進むと、尚仁沢の谷に面した見晴らしの良い場所に至る。ここからは釈迦が岳や西平岳が望める。高原山の最高峰を間近に見たのもこの時が初めてであった。山の裏側は積雪しており、時間的にも装備的にも体力的にも登頂するのは無理と思ったが、できるだけ近くまで行ってみることにした。

シカの食害を紹介する案内板があったが、一般に言われるほど食害は目立たない。シカは昔から生息していたのだから、食害があればとっくに樹木が無くなっているはずだ。樹皮が喰われるのは主にリョウブであるが、リョウブの木もたくさんある。シカの狩猟期間が通年ならば11月15日から翌年2月15日までのところ、平成12年度から14年度の3年間は3月15日まで延長されている。増えすぎた個体数を減らし食害を防ぐことが目的だが、その前に食害の定義をはっきりさせる必要があるのではないか。そもそも猟期を延ばしても効果はあまり期待できないのである。何故ならば、シカを運び出すのは大変な重労働だからだ。ただ殺せば良いというものではない。散弾銃で撃ち殺したシカを放置すれば猛禽類が食し、鉛中毒で死に至る。結局、ハンターは車道から遠くに離れて狩猟しない、学習したシカは危険な場所に近寄らなくなる。結局シカは減らない。

左側に一段高い山が現れ、その右斜面に大間々方面に向かう道がついていて次第に下り坂になる。右側の沢に面した路肩が大きく崩れている。ここを過ぎると、しばらくして左側の山の登り口があった。見晴らしコースと呼ばれる登山道である。山裏なので雪が積もったままだが、積雪20cmくらいで歩くことは可能だ。足跡から判断して最近通った人は若干1名のみである。山裏を登ると見晴らしの良い尾根に出る。雪もなく、日当たりが良くて暖かい。ここからしばらく平坦な場所を進むと岩肌がむき出しのガレ場に出て、ほどなく神様が祀られケルンが立つ場所に着いた。釈迦ヶ岳は斜面が急で積雪も深そうで、今の装備では行けないことは明らかだった。剣ヶ峰の頂もまだはるか先で、雪が深く積もっている。登山者の踏み跡が続いていたが、体力的にも時間的にもこれ以上先に進むのは無理であったので、下着を取替えご飯を食べてから下ることにした。カラスが一羽おこぼれを狙っていた。剣ヶ峰は溶岩が形成した広いなだらかな斜面を持ち、岩場は下に行くにつれて笹原となり、最後は尚仁沢に落ち込む。翌年、はるか下方に見える笹原で危うく遭難しそうになるとは、この時は思うよしもなかった。

帰りは全く同じ道を辿った。長い距離を歩かなければならないので疲れる。特にミツモチ山の下りがつらい。結局、誰にも会うことはなかった。このルートで釈迦ヶ岳まで往復するのは無理なので、どこかもっとアプローチの短いルートを見つける必要を感じた。この時の経験が尚仁沢方面を訪れるきっかけとなった。