| 八百万の神様が居る日本のこと、どんなに平凡な山でも地元の民衆が古くから祀ってきた神社や神様があるものである。高原山は日光や那須連山と並んで奈良時代から山岳信仰(仏教)が盛んに行われた場所であるが、今では修験者の姿は絶え、往時の様子をしのばせるものは数少ない。嶽山箒根神社に代表される「箒根」の名を戴いた神社群と、山岳仏教にその起源を持つ寺山観音寺の存在が特徴である。 |
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標高960m付近。東南東に月山、さらに氏子の住む宇都野方面を見下ろす見晴らしの良い場所に建立されている。周囲には檜、杉、樅の大木が多く、歴史の深さを感じさせる。 「天武天皇の白鳳8年(679年)、山本良章が修験者小角と共に登山し木像を祀ったのを起源として現在に至る」旨が鳥居横の案内板に書かれている。11月23・24日の2日間、例大祭が行われ、五穀豊穣、商業繁栄、家運長久を祈願して、梵天・獅子舞が奉納される。 鳥居をくぐって社殿に向かう途中、左側に引き返す方向に細い道がついており、これを進むと最も展望の良い場所に出る。ここで4つの石像が宇都野方面を見守っている。一つは釈迦像、一つは梵天?、残りの2つは不明。参拝客はこれらの石像のある場所には訪れないので、ひっそりとした佇まいである。 鳥居から社殿に至る途中に大きな溝があり橋が架けられている。この少し手前の左側にある細い溝が旧参道である。現在は自動車道で分断されていて通ることはできない。 アクセス: 道路が開通しており自家用車で行ける。麓の遥拝殿から唐滝沢を経由して8Km、八方ヶ原の学校平から八方湖を経由して2kmの場所にある。唐滝沢の道路は舗装されているが狭い。一方、八方ヶ原からの道路は広いが、約半分の区間が未舗装である。 |
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山の上にあるのが嶽山箒根神社の本殿であり、こちらは遥拝殿(遥か離れた麓からご神体を拝む場所)である。この神社を知るまでは、麓に本殿があって山の上に奥の院があるのが一般的と思っていたが、良く考えてみると日光市の二荒山神社と宇都宮市の二荒山神社も同じ様な関係にある。 アクセス: 矢板市街から県道矢板那須線を北上し、塩原町宇都野地区嶽山口から左に折れて400mほど進んだところにある。 |
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高原山の周辺には箒根神社と名のつく神社が、地図に載っているいるものだけで10数箇所ある。これはその一つで、塩原町の文化財指定を受けている。 以下は塩原町教育委員会設置の案内から抜粋。「創建は延喜12年(912年)と伝えられる。15世紀には野沢城主の祈願所として崇められ、後に大田原藩領となり寛永11年(1634年)に遷宮された。野沢の氾濫によって被害を受け、宝永5年(1708年)野沢城址(現在地)に再興された。」 アクセス: 塩原町金沢地区、県道矢板那須線沿いにある。駐車場がないので、近くの農道に停めるしかない。 |
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ミツモチ山から大間々に至る青空コース途上に、かつて標高1,300m付近に寺があったことを説明した案内板がある。神亀元年(724年)に行基菩薩が建立したとされる法楽寺のことである。「延暦22年(803年)に落雷により寺は焼失したが、千手観音を安置した観音堂は無事であったため、これを麓に移した。このとき、荷を引く牛が止まって動かなくなったため、そこに寺を再興することとした。」と言い伝えられている。これが現在の寺山観音寺の地で、大同元年(806年)のことだそうである。塩谷氏、後には宇都宮城主の代々の祈願寺として栄えた名刹である。広い駐車場有り。 アクセス: 県民の森矢板線(県道272号)を進み、りんご園の広がる長井地区を抜けて寺山ダムに向かう途中、右側に逸れて山に入っていく道がある。入り口に「寺山観音寺」と書いてあるので見落とすことはない。一本道を進めば寺に至る。舗装道路だが道幅は狭い。寺横を少し進むと寺山鉱泉に抜ける道路がある。 |
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尚仁沢登山道の標高900m付近の原生林内にある。由縁は良く判らないが、これより以遠には伐採・植林の行われた場所が無いので、林業関係者や薪炭業者によるものではないであろう。 神社の手前に旧い杉の切り株が2列並んでいるところを見ると、昔は杉並木の参道があったことが伺われる。 |
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釈迦ヶ岳山頂に安置されている。普通、山頂に神社はあっても仏教に関する何かが置かれている例は少ない。初めて見た時は異様に感じたが、山の名前が釈迦ヶ岳で山岳仏教が盛んだった地なので、あって当然か。今も信者の礼拝登山が行われているのだろうか? ヘリコプターで運んだのであろう。これが違和感を感じる所以かもしれない。何十年か風雪にさらされるうちに風格が現れてくるであろう。 |
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