2012年2月19日    日曜日    笠岡駅    尾道駅    西国寺    尾道市立美術館    尾道駅    笠岡駅 
尾道市    9:07    9:40    11:08    12:30頃   13:09    13:43



JR笠岡駅、この電車に乗って尾道に行く。



(笠岡駅)




ところで、

♪汽笛一声新橋を はや我汽車は離れたり・・・・、で有名な「鉄道唱歌」。


鉄道唱歌で、いったい笠岡はどのように歌われているのだろう?

と長年思っていたが、図書館で「野ばら社」発行の「鉄道唱歌」という本を見つけ借りた。今えいちゃんの手元にあるので転記する。











(車窓から笠岡市金浦)



「鉄道唱歌・明治33年山陽九州編」


12番は玉島で13番は福山。笠岡は素通りされている(山陽線の岡山県内では岡山と玉島のみ歌われている)



ついでだから13番・14番・15番を書く。




13番・畳表の備後には 福山町ぞ賑わしき
    城の石垣むしのこす 苔にむかしの忍ばれて



14番・武士が手に巻く鞆の浦 ここよりいけば道三里
    仙酔島を前にして 煙にぎわう海士の里




15番・浄土・西国・千光寺 寺の名高き尾道の
    港を窓の下に見て 汽車の眠りもさめにけり






格調高い歌詞になっている。海士(あま)は漁師を指しているようだ。





(車窓から・笠岡市用之江)






お次、「明治42年 山陽線唱歌」




27番・金神駅(こんじんえき)には金光社 金光教会本部あり
    笠岡付近の名産は 世に広浜の水蜜桃




28番・天守は残る福山城 阿伏兎の観音鞆の浦
    みな遠からぬ名所にて 鞆より出るは保銘酒



29番・尾道ゆけば千光寺 巌の上に寺ありて
    見下ろす海の小歌島 歌声たえぬ海士小船





笠岡を「広浜」が代表してるのが明治を感じる。



なお尾道の鉄道敷設には、

町長町民あげて千光寺の裏側を通るよう当時の「山陽鉄道株式会社」に懇願したそうだ。



当時の県知事が「それでは尾道がさびれる」と現在の路線に決めた。

更に、社長・中上川彦次郎は、将来をみすえて複線化ぶんの路線幅を買収した。


どちらも、さえた明治の指導者だ。







(車窓から・福山駅)






「新鉄道唱歌 昭和3年 鉄道省」




21番・窓を押さずや左手には 近づく海の冴え冴えに
   浮かぶ白帆も神島 陰に片島片あかり

22番・笠岡駅や金崎の トンネル越えも束の間に
    野良にあふるる涼しさは 緑ながろう藺田の風







冨岡を過ぎ大磯からは目の前に海が広がり、それはそれは見事な眺めであったろう(昭和30年頃まで)。

笠岡〜福山間で藺田とある、現在の福山市蔵王町と思える。藺草がひろがっていたのだな。










(車窓から・尾道市久保町)









尾道駅に着いた。

駅前にはお寺めぐりのグループが何組かいた。







えいちゃんはこれより

「西国寺」の「タンク岩」に向かう。







「うず潮橋」のうえ。








うず潮橋は山陽線をまたぐ橋。















今日は尾道の観光客定番の道で西国寺に行ってみよう。


それが「古寺めぐりコース(石畳)」、路面の石畳を踏んで行けばお寺めぐりはできる、眺めもいい、という道。







土堂小学校の横、「持光寺」。













次は「光明寺」。

横綱・陣幕の手形。












これが「石畳」。時々下を見て、石畳を確認しないと道を迷う。









「宝戸寺」。















宝土寺を出ると「千光寺新道」。





この坂道を上る。



つぎ・尾道古寺めぐり(石畳)〜西国寺タンク岩〜尾道市立美術館A天満宮までBCDE












2012年2月21日