2012年2月4日    土曜日   甲山神社    馬越橋    馬越恭平生家 
井原市西江原町〜東江原町〜木之子町    11:30頃   12:33    12:51 




今日は甲山神社に行き、その次に馬越橋を渡り、ビール王馬越恭平生家に行く。




まずは西江原の西新町から出発。











西江原公民館の前にはこんな史跡散策マップが建っている。




よく見れば・・・・

西江原町ではいちばん肝心の、「一橋家陣屋跡」の表示がないぞ!


これは、問題だと思うな。









この写真の左半分が幼稚園と保育園、右半分部分が西江原公民館。














そして道の向かい側に西江原小学校がある。




西江原小学校は学制改革まで「義之小学校」と呼ばれていた、その記念碑↑。


ついでながら、

母は昭和8年に義之小学校を卒業している。










西江原小学校の裏にある正雲寺。













左が西江原小学校の校庭、右が正雲寺。




正雲寺の土塀が長い。

正雲寺には足利尊氏の宝篋印塔もあるようだ。(知っていたら見物するのだったが、帰ってから知った)









そして、正雲寺の隣にあるのが甲山神社。

うーーむ、なかなか立派な神社だ。












この石灯籠も巨大だ。これだけ大きな石灯籠はめったにない。




これは小田川の渡し場にあったのを移転したそうだ。小堀遠州が建てたという説明書き。









石灯籠の玉垣の下には「地神」。




備中地方に多い、五角形の地神。










狛犬もまた大きい。












実は今日、

えいちゃんが何故「甲山神社」に来たかというと、この本に載っていたから。


(2/1、笠岡市図書館にて)



いつものように図書館で本の流し読みをしていたら、「甲山神社」には戦争遺跡が6点あるそうだ。




行って見てみよう。


そして、もし

感じるものがあったら後日母に話を聞いてみよう。


母が元気なうちに聞いておかないと(・・・今しかないから)。






以下、本のうち、

「井原市の甲山八幡神社の戦争遺跡」立石憲利氏、の部分を引用・参考する。









@は「忠魂碑」。





大正4年建立。










A「戦没者芳名碑」


西南戦争から大東亜戦争まで、西江原の戦没者名の碑。



昭和32年建立。










B「百万度石」。





奇妙なというか、聞いたことも無い言葉「百万度石」。

ただし、「お百度石」にかこつけたことは、すぐに想像できる。








これが「百万度石」。

しかも「小学校生徒一同」も石から読み取れる。









さらに、まんなか部分の円形部分を覗きこむと!






「大日本帝国万歳」

「大勝利」、の文字!!


昭和12年建立。




児童生徒の名での戦意高掲の記念碑があったのだな。


しかも、

よく

現在まで残っていたものだ(奇跡だ)

・・・・こういうものは敗戦後半年以内に通常、廃却または焼却されている・・・




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2012年2月4日