2011年11月30日   水曜日


えいちゃんの関係する記事が11/30、中国新聞文化欄に掲載された。


記念に、記事といきさつをページにして残す。




10月の初め、中国新聞文化部の林さんという方からメールがあった。



林さんは記者で「太平洋戦争開戦から70年」の銃後をテーマに記事を作成準備中であり、



当時国が奨めていた旧制中学の滑空(グライダー)についても調査している。








えいちゃんの別サイトに「呉志飛21711」というホームぺージがあり、

そのページは母の末弟の事で、

旧制中学生の滑空部員が、在籍のまま海軍に入隊した話。




今から10年程前に玉島に住む叔父に当時の話を聞き、それをホームぺージにしたもの。


その後、叔父は亡くなった。











林記者のメールは叔父の話を直接聞きたい、という依頼でもあったが

残念ながら実現できない話だった。



その旨、

林記者に返信すると。



今度は、ならば直接話を聞いたえいちゃんの話が聞きたいとのことで。


10月31日、林記者は笠岡まで来られた。













林記者はえいちゃんが予想していたよりも年齢が相当若い記者だった。


必要な本や調査した書類コピー等、膨大な資料を手にしていた。


新聞社が「活字にする」ことの重さをズシリと感じた。

林記者は「確実な裏付けがないものは文章に出来ませんから」と話された。



なお、お土産にモミジ饅頭を頂いた。



その日、林記者はえいちゃんと別れたのち井原の興譲館高校へ向かった。












林記者からは「今月末から掲載の予定です」とメールがあり、どういう新聞記事になるのか楽しみにしていたが

昨日(10/30)に@が始まり、今日がAだった。



テーマ選定の視点や、資料の観点、文のまとめ方、取材力など、さすがに質が高い。



明日からの記事も楽しみだが、


「残影」終了後も林記者の記事に期待しておこう。




つぎ・笠岡インターの紅葉













2011年11月30日